島英二

From Wikipedia, the free encyclopedia

生誕 (1947-10-24) 1947年10月24日(78歳)
出身地 日本の旗 日本, 東京都世田谷区生まれ(神奈川県鎌倉市育ち)
担当楽器 ベース
ギター
島 英二
生誕 (1947-10-24) 1947年10月24日(78歳)
出身地 日本の旗 日本, 東京都世田谷区生まれ(神奈川県鎌倉市育ち)
ジャンル J-POP
グループ・サウンズ
担当楽器 ベース
ギター
活動期間 1960年代-
共同作業者 ザ・ワイルドワンズ
SOSバンド
島英二とCoconuts Men’s Club
Knot 4 sail
Cat & Dogs
加山雄三&ハイパーランチャーズ
公式サイト オフィシャルホームページ
公式YouTubeチャンネル
実兄、大石吾朗加山雄三ビートルズ加瀬邦彦

島 英二(しま えいじ、1947年10月24日 - )は、日本のミュージシャンベーシストギタリスト

東京都世田谷区で生まれ、世田谷区立八幡小学校2年生の時に父親の意向で神奈川県鎌倉市材木座極楽寺に転居する[1]鎌倉市立第一小学校鎌倉市立第一中学校平塚学園高等学校卒業[1]

自身の叔父は東芝音楽工業にてエバークリーンレコード(赤盤)を開発したチームに所属し、東芝レコード工場長も務めた人物であったという[1]

元々は、ギタリストであったが、高校時代に、兄の島雄一[注 1]と「ロック・ビート」「チェッカーズ」を結成する。

大学浪人時代には加瀬邦彦の大学の後輩で、自身の知人でもあった井原芳隆(後の三井製糖社長)が仲介する形で加瀬と面会し、ザ・ワイルドワンズのメンバーとなる[1][2]。なお、島はワイルドワンズのメンバーとしては植田芳暁鳥塚繁樹の後から加入が決まったという[2]。島自身はワンズに入るまでベース・ギターを一度も弾いたことがなかったが、メンバー構成上、ベースがいなかったために島がベーシストとしてもデビューすることになった[2]

1966年 - 1971年の第1期ザ・ワイルドワンズ時代には『愛するアニタ』でのシャウトで注目を集め、シングル『赤い靴のマリア』ではメインボーカルを務めた。ファーストアルバム『ザ・ワイルドワンズ・アルバム』では、初作詞楽曲『太陽の海』を、オリジナルアルバム4作品目の『YESTERDAY, TODAY AND TOMORROW』では初作曲楽曲の『明日に続く道』を発表するなどしている[1]

ワイルドワンズ解散後は一時期モデル活動をしており、自動車・バイクの広告モデルやファッション雑誌『男子専科』などでその姿を見ることができる。また、ミキシングエンジニアとして既に活躍していた、兄である島雄一に薦められ、テープダビング会社「パン・オーディオラボ」をワイルドワンズ再結成時まで経営。この時代の音楽流通業界に大きく貢献した。

1981年に第2期ザ・ワイルドワンズ再結成以後は精力的に音楽活動を続け、1980年代には元ブルージーンズの宇都木裕らとエレキバンド「AGUSAS BAND」「SOSバンド」を組んだ[3]。1994年に結成された「加山雄三&ハイパーランチャーズ」ではギター兼バンドリーダーを担当。エレキから離れていた加山雄三にエレキ界復帰をけしかけたのも島である。また、自身がリーダーのグループ「ココナッツクラブ」「Mixy」「ココッナツメンズクラブ」「Knot 4 Sail」「Cat & Dogs」などユニットを組み、現在も月に2回ほど「ココナッツクラブ」「Mixy」を除く3バンドで公演を定期的に行っている。そして、ザ・ワイルドワンズ自体も加瀬邦彦と渡辺茂樹が亡くなった後も灯を消すことなく島と植田・鳥塚の3人で活動を続け、加瀬邦彦が創立したケネディハウス銀座を拠点に月1~2回の定期公演を行っている[1][2]

趣味はオールドモズライトギターの収集や写真撮影、ものづくりなど多岐にわたる。特にものづくりに関しては、2005年にNHK BSにて放送された『熱中時間 忙中"趣味"あり』での番組制作を機に、人が乗れる実働蒸気船を1からつくり上げ、現在は加瀬邦彦命名「ピノキオ」、加山雄三命名「英光丸」の2隻を所有し余暇を楽しんでいる[4][5]

2020年、自身の公式YouTubeチャンネル「島英二のKOBOちゃんねる」を開設。上述の蒸気船に関する動画や、自身のグループのライブ映像などがアップされている。

参加作品

脚注

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI