崔昭緯
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進士に及第した。昭宗のとき、中書舎人・翰林学士を歴任した[2]。大順元年12月(891年1月)、戸部侍郎・同中書門下平章事(宰相)となった[3]。景福元年(892年)8月、門下侍郎となった[4]。景福2年(893年)6月、光禄大夫の位を受けた[5]。11月、尚書左僕射を兼ね、諸道塩鉄転運使をつとめた[6]。乾寧2年(895年)、内は宦官と外は邠寧節度使の王行瑜らと結託し、韋昭度や李磎らの大臣を粛清して、昭宗に憎まれた[7][8]。8月、宰相を退任し、太子賓客となった[9][10]。のちに汴州に身柄を預けられた[2]。10月、梧州司馬に左遷された[11]。乾寧3年(896年)5月、昭宗に5つの罪を列挙されて自殺を命じられた[12]。梧州に下る途中、荊南で宮中からの使者が到着して斬られた[13][14]。