川上三太郎
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東京市日本橋区蠣殻町(現在の東京都中央区日本橋蛎殻町)出身[2]。1911年に大倉高等商業学校(のちの東京経済大学)を卒業し[2]、大倉洋行に入社[3]。退社後、1920年に東京毎夕新聞社に入り、学芸部長などを務め、1927年退社[2]。
13歳から川柳を作り、井上剣花坊に師事した[2]。1929年に『國民新聞』の選者になり、1930年に国民川柳会を結成し、機関紙「国民川柳」を発刊[4]。1934年には国民川柳会を川柳研究社に[1]、「国民川柳」を「川柳研究」に[4]名前を改める。新聞・ラジオなどでも川柳の社会普及に努めた[2]。