麻生路郎
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広島県尾道市十四日元町生まれ[1]。10歳の時大坂船場へ移り住み大坂高商(現大阪市立大学)在学中に川柳を始める。卒業後、大阪電信局、毎日新聞記者、病院事務長など色々な職に就いた。1924年、大阪で『川柳雑誌』を創刊。1936年“職業川柳人”を宣言した。川柳誌経営が職業として成り立つ時代だった。[要出典]麻生は、川柳を「川柳とは人間及び、自然の性情を素材とし、その素材の組み合わせによる内容を平原俗語で表現し、人の肺腑を衝く十七音字中心の人間陶冶の詩である」と定義付け[1]、川上三太郎、岸本水府、前田雀郎、村田周魚、椙本紋太とともに「川柳六大家」と呼ばれた[1]。「俺に似よ俺に似るなと子をおもい」の句が特に有名だが、「大杉(大杉栄)を殺し思想を取り逃がし」や「あの博士今度は民主主義を売り」など、社会的な句も多く残している。酒豪で知られ、同じ川柳家の妻・葭乃の読んだ「飲んで欲しやめても欲しい酒を注ぎ」の句も有名。1965年、肝臓障害で死去。享年77。
なお麻生が創刊した『川柳雑誌』は現在大阪の川柳誌『川柳塔』に引き継がれている[要出典]。