川俣清音
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1899年4月15日、北海道余市郡余市町に生まれる。1923年(大正12年)早稲田大学を卒業する。大学在学中から農民運動に参加し、1924年(大正13年)秋田県で日本農民組合(日農)支部を組織する。日農では中央委員を務め、小坂銅山争議では、加藤勘十、浅沼稲次郎、三輪寿壮らとともに現地に赴き争議を指導する。
1930年(昭和5年)地方無産党から衆議院選挙に立候補するものの落選。1936年(昭和11年)社会大衆党から衆議院議員に初当選する。以後当選通算8回。戦後は日本社会党に所属し、中央執行委員などを歴任する。1955年(昭和30年)の左右社会党統一、社会党結党時には書記長候補に名が挙げられた。
1969年(昭和44年)春の叙勲で勲二等旭日重光章受章(勲四等からの昇叙)[4]。
1972年12月7日、糖尿病の悪化のため東京都目黒区の東京共済病院で死去。自宅は東京都世田谷区にあった[5]。死没日をもって正四位に叙される[1]。
