川原畑
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河川
歴史
川原畑村は往古より吾妻郡に属し、三原庄に属していた。また、分村等のことはなかった。天平18年当時は沼田城真田信幸の領地と伝えられている。江戸時代は、はじめ沼田藩領、元和元年からは幕府領であった。1889年の町村制施行で近隣9か村と合併し、長野原町ができる。その後の1917年大字の名前が変更され現在の名前となる。
1986年に「八ッ場ダムの建設に関する基本計画」が策定された。この八ッ場ダム建設により旧川原畑地域はダム湖に沈むこととなったため、予定湖面より高い地点に移転を始めた。2011年には国道145号八ッ場バイパスが代替地で開通した。
年表
- 1889年 町村制施行により川原畑村など10町村が合併し、長野原町が誕生した。そのため吾妻郡長野原町大字川原畑村となった。
- 1917年 大字下の町村を削除したため、大字○○村は大字○○になったことで同字は吾妻郡長野原町大字川原畑となった。
- 2011年12月20日 同字を通る国道145号八ッ場バイパスが代替地で開通。これにより代替地への移転が始まる[5]。
- 2014年4月 川原畑地区地域振興施設として長野原町はクラインガルテンを建設する[6]。
- 2014年10月1日 八ッ場大橋が開通する。
- 2019年10月 八ッ場ダムの試験湛水開始により、旧地域周辺がダム湖(八ッ場あがつま湖)に水没。
地名の由来
吾妻川の水深が浅く、やや広いため川原となるところがある。そのため、この川原の畑地であると考えられている。
小字
代替地に移行しても小字が残っている。そのため、現在でも地名として残っているものがある。
代替地での小字
- 石畑[5]
- 二社平
- 三平
- 上ノ平
旧地域での小字
- 西宮
- 上ノ平
- 宇知山
- 祖登山
世帯数と人口
小・中学校の学区
町立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[7]。
| 番地 | 小学校 | 中学校 |
|---|---|---|
| 全域 | 長野原町立中央小学校 | 長野原町立長野原中学校 |
