川崎幾三郎
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初代・川崎幾三郎
二代目・川崎幾三郎
(1855年12月8日(安政2年10月29日)[8] - 1921年(大正10年)11月10日[9])
土佐の豪商・初代川崎幾三郎の二男。高知市生まれ。名は篤慶。33歳の時、父幾三郎の名をついで二代目を名乗る。
実業家として18歳の時に金物店の主人となったのをはじめに銀行・海運業に意欲をもち、多くの事業を展開した。銀行では土佐銀行(現四国銀行の前身)や、交通の分野では土佐電気鉄道の創立にも寄与し、その数は80を超えるともされる。個人名義で1896年(明治29年)に政府に火力発電所の建設許可を申請、翌1897年(明治30年)4月1日に許可を得て、高知市大川筋に出力50キロワットの火力発電所を建設。
また,高知市会議員や高知商工会議所の会頭なども歴任した。教育にも力を入れ、私財を投じて川崎幼稚園(現在は閉園)や、1920年(大正9年)に、土佐商船創立者で土佐セメント社長などを務めた地元実業家宇田友四郎(宇田耕一の父)とともに私立土佐中学校(現・土佐中学校・高等学校)を創立した[10]。