1741年
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できごと
- 清 - 初の全人口調査。人口1億4341万1559人[1]。
- インド - マラーター勢力によるベンガル侵入[1]。
- フランス王国 - フランス人が初めてセーシェル諸島を探査[2]。
- アフリカ中部 - 西方に進出した部族がカゼンベ王国を興したことにより、中央アフリカでルンダ王国が拡大する[3]。
- アイルランド - アルスターで飢餓。アイルランド系が北米・大陸ヨーロッパ・イギリスに集団移住[3]。
- エジプト - イェルサレム出身のコプト正教会聖職者アンバ・アタナシウスがカトリックに改宗[4]。
1月-3月

カルタヘナ・デ・インディアスの海戦:カルタヘナの眺め - 2月13日 - グレート・ブリテンの首相、ロバート・ウォルポールが議会での発言で「バランス・オブ・パワー」の語を用い、世に普及させる[5]。
- 2月14日 - アイルランド生まれの俳優、チャールズ・マックリンが、シアター・ロイヤル・ドルリー・レーンで上演された『ヴェニスの商人』にシャイロック役でロンドンの初舞台を踏む。これは、シェイクスピアによる原典を復活させ、心理的にリアルな演技様式を開拓したものであり、またジョージ・グランヴィルによるメロドラマ風の改作『ヴェニスのユダヤ人』 に取って代わるものだった[6]。キティー・クライヴがトラベスチ(男装)によってポーシャを演じる[7]。
- 3月9日 - オーストリア継承戦争:プロイセン軍が、グラーガウ(現ポーランドのグウォグフ)にあるオーストリア軍の要塞を陥とす[8]。
- 3月13日 - ジェンキンスの耳の戦争:カルタヘナ・デ・インディアスの海戦。イギリス海軍が、エドワード・バーノン提督の指揮による、戦艦・フリゲート艦・輸送船団から成る180隻の艦隊で、コロンビアのカルタヘナを脅かす。船団の乗組員27000人に対し、守備側は3600人であった[9]。
4月-6月

- 4月6日 – ニューヨーク奴隷反乱。ニューヨークに放火を行うという計画が露見する[10]。
- 4月10日 - オーストリア継承戦争:モルヴィッツの戦いでプロイセン歩兵がオーストリア騎兵を破る[2]。
- 4月12日(元文6年2月27日) - 日本、改元して寛保元年。
- 4月30日 - 1741年イギリス総選挙はじまる(-6月11日)。与野党の議席が伯仲し、ウォルポール政権不安定に。
- 5月4日 – 大北方探検:ヴィトゥス・ベーリングが、シベリアとアラスカの湾を測量するためペトロパブロフスク・カムチャツキーを出航。
- 5月9日 – ジェンキンスの耳の戦争:カルタヘナ・デ・インディアスの海戦 (1741年) – ブラス・デ・レソ指揮下のスペイン軍のヌエバ・グラナダ守備隊が、エドワード・ヴァーノン提督率いるイギリス海軍の艦隊を撃破。イギリス軍はジャマイカへの撤退を余儀なくされた[11]。
- 5月14日 – ジョージ・アンソンの世界周航:アンソン提督指揮下のフリゲート「ウェーガー号」がチリ沿岸で座礁。壊血病を患っていた船員のほとんどが犠牲となる[12]。
- 5月15日 – ナーディル・シャー暗殺未遂事件おこる[13]。
- 5月21日 – オーストリア継承戦争: イギリス王ジョージ2世が、ハノーヴァー選帝侯領を防衛するためプロイセンへの侵攻に備えるようイギリス陸軍に対し命を下す[14]。
- 6月11日 – イギリス総選挙(4月30日-)。庶民院においてロバート・ウォルポールのホイッグ党が多数派を保持したが、彼の政策に反対した議員たちが新たに愛国ホイッグ党を形成したことで、44議席を失う。
- 6月25日 - マリア・テレジア、ブラチスラヴァでハンガリー女王に即位[3]。
7月-9月
- 7月15日 - 大北方探検:ヴィトゥス・ベーリングのロシア探検隊の船が、ヨーロッパ人として初めてアラスカに上陸[3]。
- 8月8日 - ロシア・スウェーデン戦争:スウェーデン王国のハット党政権がロシア帝国に宣戦布告[2]。
- 8月29日(寛保元年) - 北海道の渡島半島の熊石から松前にかけて謎の大津波が襲来し、1467人が死亡した(寛保津波)。
10月-12月
誕生

→「Category:1741年生」も参照
- 2月7日 - ヨハン・ハインリヒ・フュースリー[15]、スイス生まれのイギリスの画家(+ 1825年)
- 2月11日 - アンドレ=エルネスト=モデスト・グレトリ[16]、ベルギー生まれのフランスの作曲家(+ 1813年)
- 3月13日 - ヨーゼフ2世[17]、神聖ローマ皇帝(+ 1790年)
- 3月17日 - ウィリアム・ウィザリング[18]、イギリスの医者(+ 1799年)
- 3月20日 - ジャン=アントワーヌ・ウードン[19]、フランスの彫刻家(+ 1828年)
- 4月14日(寛保元年2月29日) - 桃園天皇[20]、第116代天皇(+ 1762年)
- 4月15日 - チャールズ・ウィルソン・ピール[21]、アメリカの画家・軍人・博物学者(+ 1827年)
- 7月7日(寛保元年5月25日) - 中山愛親[22]、公卿(+ 1814年)
- 8月23日 - ラ・ペルーズ伯ジャン=フランソワ・ド・ガロー[23]、フランスの海軍士官・探検家(+ 1788年?)
- 10月18日 - ピエール・ショデルロ・ド・ラクロ[24]、フランスの小説家、軍人(+ 1803年)
- 10月30日 - アンゲリカ・カウフマン[25]、スイス出身の画家(+ 1807年)
- 11月2日 - ピニョー・ド・ベーヌ[26]、フランスの宣教師(+ 1799年)
- 11月15日 - ヨハン・カスパー・ラヴァーター[27]、スイスの牧師(+ 1801年)
- 瀬川菊之丞 (2代目)[28]、歌舞伎俳優(+ 1773年)
- 高井几董[29]、俳人(+ 1789年)
- 李徳懋[30]、李氏朝鮮の学者、文臣(+ 1793年)

