川村喜太郎 From Wikipedia, the free encyclopedia 川村 喜太郎(かわむら きたろう)は、日本の実業家。総合商社の丸紅の取締役、常務取締役、専務取締役を歴任した。丸紅不動産、紅栄の社長も務めた[1]。 生誕 1914年1月3日国籍 日本出身校 滋賀大学経済学部(彦根高等商業学校)肩書き 丸紅 専務取締役・常務取締役丸紅不動産 社長紅栄 社長かわむら きたろう 川村 喜太郎生誕 1914年1月3日国籍 日本出身校 滋賀大学経済学部(彦根高等商業学校)肩書き 丸紅 専務取締役・常務取締役丸紅不動産 社長紅栄 社長テンプレートを表示 1914年1月3日に滋賀県で生まれる。1931年4月に官立彦根高等商業学校(現・滋賀大学経済学部)へ入学し、1934年に卒業した。また、彦根高等商業学校の同級生の村岸博三も、のちに丸紅で常務取締役を務めている[2]。 卒業後は丸紅商店本店に勤務。戦後は丸紅の前身である大建産業の従業員組合で大阪地区組合長を務めたのち、大建産業が1949年に伊藤忠商事、丸紅、呉羽紡績、尼崎製釘所の4社に分割に伴い、丸紅へ[3][4][5]。 丸紅では、社長室長、関連事業部長、事務管理部長、社史編纂室長、総務本部長、開発建設本部長を経て、1961年から1964年に取締役・執行役員、1964年から常務取締役、1972年から1975年に専務取締役を歴任した[6][7]。同級生の村岸博三も同時期の1969年から1971年に常務取締役を務めている[6]。また、同じく彦根高商の1つ上の先輩にあたる寺嶋伝一も同時期に常務取締役であり、2つ下の後輩にあたる池田松次郎はのちに社長を務めた[8]。 また、丸紅不動産の常務も務め、1960年に専務、1974年に社長に就任した。1976年には同じく丸紅グループの紅栄の社長に就任、兼任した[7]。 脚注 [脚注の使い方] ↑ 『南平台とともに半世紀、南平台の宅地開発に尽力』南平台不動産株式会社。 ↑ 『丸紅株式会社社史編纂委員会編『丸紅通史:百五十年の歩み』』丸紅株式会社、2008年、326-333頁。 ↑ “丸紅(株)『丸紅前史』(1977.03) | 渋沢社史データベース”. shashi.shibusawa.or.jp. 2026年2月15日閲覧。 ↑ 『丸紅株式会社社史編纂室編『丸紅前史』』、195頁。 ↑ “峠越えの道|伊藤忠商事株式会社”. 伊藤忠商事株式会社. 2026年2月15日閲覧。 1 2 『丸紅通史』丸紅株式会社社史編纂委員会、326-333頁。 1 2 『現代人物事典 : 出身県別 西日本版』サン・データ・システム、1980年6月、306頁。https://dl.ndl.go.jp/pid/12205598/1/546?keyword=%E5%B7%9D%E6%9D%91%E5%96%9C%E5%A4%AA%E9%83%8E。 ↑ 今井綾乃 (2024). “官立彦根高等商業学校の学校史:誘致運動・教育制度を中心に”. 博士論文全文甲49 (滋賀大学大学院経済学研究科): 96. Related Articles