巡礼者の道
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「巡礼者の道」という名称は、以前はコンスタンティノープルとビザンツ帝国の東部地域、具体的にはシリアやアラビアなどを結ぶ交通網につけられてきた[3]。 このルートはコンスタンティノープルの向かい、カルケドンから始まりニコメディア、ニカイア、アンカラ、キリキア門、タルススを経てアンティオキアへと続いていた[4]。ローマによる征服後、道は小石などによって舗装された[2]。 キリスト教が広まると、巡礼者や商人の通行に対応するために道幅が拡幅された[2]。
このルートは主に軍隊にとって有用で、迅速な行動を可能にしていたが、333年頃からボルドーなどからの巡礼者がここを通るようになると、次第に「巡礼者の道」と呼ばれるようになった。複数の資料がこの道について言及しているが、いずれもわずかな分岐がある程度で、概ね同様の道順をたどるようである[4]。 巡礼者たちは聖地に向かうため、あえてここに寄り道することもあったようである[5]。
