巨勢至信
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生涯
享保3年(1718年)、小納戸になって三河国宝飯郡に1000石を賜り、布衣の着用を許された[1]。享保4年(1719年)、以前に徳川頼宣の50回目の法會に名代として和歌山に赴いたことから従五位下伊豆守に叙された[1]。享保9年(1724年)には1000石を加増されている[1]。
享保13年(1728年)に吉宗が日光山に赴いた際はこれに同行し、享保17年(1732年)には御側に昇進、三河宝飯郡と額田郡に1000石を加増され、石高は合計で5000石になった[1]。
享保20年(1735年)閏3月、徳川宗尹の傅役に任じられた[2]。
延享2年(1745年)からは江戸城の西城に勤めとなっている[1]。
宝暦元年(1751年)、近江久道作の刀と掛軸(いずれも吉宗の遺品)を賜り、同年に務めを終えて菊間広縁詰に列した[1]。同年12月に致仕した[3]。