市堀川
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地理
歴史

市堀川は天正14年(1586年)に築城した和歌山城の外堀の一つとして浅野幸長によって造られ、堀川と呼ばれた。その堀川の伝法橋付近が伝法川と呼ばれ現在の市堀川の元となっている[4]。江戸時代の和歌山城下は市堀川を境にして、南岸の武家屋敷(三の丸)と北岸の町人町に分けられていた[5]。市堀川は船運による物資の輸送路として使用され、河岸には問屋街が形成されて城下町の発展に影響を与えた[6]。本町1丁目から寄合橋にかけての区域には駿河町・福町・ト半町・寄合町の4町があり、この4町を東西に走る通りは和歌山城下のメインストリートだった[5]。
当初、東外濠の屋形川と、西外濠にあたる西の丸川を支流に持つ延長1.6km、幅24~26mの運河であった[7]。その後、真田堀川、新堀川が開削された[7]。これらの運河は、有事に備えた外濠であるが、平時の舟運を重視したものと考えられる[7]。市堀川沿い一帯は納屋河岸(なやがし)と呼ばれ、紀の川を通じて各種産物が頻繁に荷揚げされて賑わい、納屋河岸北側には富裕な商家が集まっていた[7]。明治維新の後、西の丸川、屋形川、新堀川は埋め立てられた[7]。
昭和時代には都市化にともなって汚染が進んだ[6]。1992年から和歌山県と和歌山市が共同で整備を開始し、1998年9月には市堀川周辺を散策できる遊歩道と市営駐車場が完成した[6]。市堀川北岸の遊歩道は京橋=城北橋間の435m、南岸の遊歩道は鍜治橋=寄合橋間の1,145mである[8]。「プライバシーや防犯への配慮」から、遊歩道の開放時間は「9時-17時」となっている[8]。2015年9月12日・13日に行われた「市駅“グリーングリーン”プロジェクト」の一環として、市堀川ではプラグインハイブリッド船が遊覧船として試験運行された[9]。


