市村記念体育館
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| 市村記念体育館 | |
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正面 | |
| 情報 | |
| 用途 | 文化施設 |
| 旧用途 | 体育館(固定席820人・最大2,020人収容) |
| 設計者 | 坂倉準三建築研究所 |
| 施工 | 大成建設 |
| 建築主 | 佐賀県 |
| 構造形式 | RC造 |
| 建築面積 | 2,082 m² |
| 延床面積 | 4,318 m² |
| 階数 | 地上4階、地下1階 |
| 高さ | (軒高)18.8 |
| 着工 | 1962年(昭和37年)2月 |
| 竣工 | 1963年(昭和38年)3月 |
| 所在地 |
〒840-0041 佐賀県佐賀市城内2-1-35 |
| 座標 | 北緯33度14分58秒 東経130度18分07秒 / 北緯33.249464度 東経130.301891度座標: 北緯33度14分58秒 東経130度18分07秒 / 北緯33.249464度 東経130.301891度 |
| 備考 | DOCOMOMO JAPAN モダン・ムーブメントの建築(2023年) |
市村記念体育館(いちむらきねんたいいくかん)は、佐賀県佐賀市城内にあるスポーツ施設・ホールである。
佐賀県出身の実業家でリコー創業者の市村清により佐賀県に寄贈された施設で、1963年(昭和38年)に「佐賀県体育館」として開館した。坂倉準三の設計で、瓶の王冠のようにギザギザのある特徴的な外観をしている[1][2]。
建設・寄贈
佐賀県の体育及び文化の振興を図るものとして、市村清が2億1千万円余りの私財を投じて建設し寄贈したものである[2][3]。後に国際的なスポーツ・文化イベントの会場として利用されており、『佐賀県政史』は、佐賀県体育館が県のスポーツ・文化の振興に果たした役割は計り知れないものがあると評価している[3]。
実業家として実績を収めていた市村は、故郷佐賀の青少年育成や県政などにも関心を寄せていた。1959年(昭和34年)に佐賀県知事に当選した池田直は旧制県立佐賀中学校の1年後輩で、選挙応援を行い度々懇談をするほどの親交があった。その中で、市村が池田に何か県民全体の役に立つものを寄贈したいと申し入れたのがはじまりとなった。池田の当選から1年ほどのことだった[4]。
これを受けて、佐賀県は教育委員会を中心に検討を行い体育館に決定した。当時佐賀市には公会堂が存在したものの、大人数を収容できる集会場がなく、体育館であれば全県的な行事なども開催できるというのが理由だった[4]。
設置場所は城内公園(後の佐賀城公園)内、佐賀市赤松町39番地(竣工時の住所)[5]となった。現在の場所である佐賀県立図書館の向かいが最適としたのは池田であった。旧県立佐賀高等女学校校舎が老朽化のため改築時期を迎えており、これを郊外に移転して敷地を確保した。ところが当時の城内公園は、建ぺい率の分母たる面積が公園面積だけでは不足するという事態に陥っていた。苦肉の策として、公園を囲む水濠の水面を公園に編入して敷地面積を拡大することで、建築許可を出せるようになったという[4]。体育館に充てられた敷地面積は12,120 m2である[5][6]。
1962年(昭和37年)2月に着工した[5]。なお、リコー三愛グループの建物では、ホテル三愛(1964年、現・札幌パークホテル)も坂倉が手掛けていた[2][7]。
1963年(昭和38年)3月に竣工[5]、3月11日には約1,800人が参列して落成式・寄贈式が行われた。池田直佐賀県知事(当時)と市村夫妻によるテープカット、体育館落成祝歌の斉唱、舞台を使用した市村夫妻による能の仕舞い、市村清の胸像(古賀忠雄制作)の除幕式、体育館寄贈の功労により授与が決定していた市村への紺綬褒章の受勲式がプログラムであった。翌日以降も音楽会、東京大歌舞伎の上演、体操、バスケットボールの大会などの記念行事が行われた[2]。
利用の歴史
主要なスポーツ行事では、日中親善バレーボール佐賀大会(1964年、落成1周年記念)[2]、全国高等学校剣道大会(1965年)[2]、全日本選抜柔道体重別選手権大会(1968年)[8]、第31回国民体育大会の体操競技(1976年)[9]、バスケットボール日本リーグ佐賀大会(1979年)[2]などが行われてきた。全日本男子バレーボールチームは、1966年に強化合宿を行ったほか、1972年に対ポーランド戦の国際試合を行った[2]。また全日本ではないが、1981年にはバレーボールワールドカップの国際試合が行われている[9]。
ウィーン少年合唱団(1964年)[2]、ボリショイ・バレエ団(1966年)[10]、ワルシャワ・フィルハーモニー管弦楽団(1970年)[2]の公演、オペラ『夕鶴』[2]などの文化公演が行われたこともある。
1986年(昭和61年)に「佐賀県文化体育館」、1992年(平成4年)に寄贈者を記念して「市村記念体育館」に名称変更した[9]。
2018年3月からスタートした「肥前さが幕末維新博覧会」では、メインパビリオンの「幕末維新記念館」として利用された[2][9]。平成19年度全国高等学校総合体育大会ではボクシング会場として[9]、全国高等学校総合文化祭・2019さが総文では芸術・工芸部門の会場として[9]使用された。
指定管理者制度の導入後は、鹿児島県でフィットネスクラブを運営するセイカスポーツセンターを中心とした「セイカスポーツグループ」が佐賀県総合運動場・佐賀県総合体育館(共に佐賀市日の出)と共に管理していたが、佐賀県総合運動場・佐賀県総合体育館が「SAGAサンライズパーク」と改称し、PFIによる整備を前提として指定管理者が変更になった際に指定管理の対象から外れている。
佐賀市は早稲田大学創設者の大隈重信の出身地であることから、同大学と佐賀県は大隈の没後100年にあたる2022年、体育館北側の広場に記念プレートを設置した[11]。
リニューアルへ
2018年には、建築から50年以上が経過し老朽化が進んでいること、またフロア面積が小さく競技会などを開催するのが難しいことから、佐賀県はスポーツ施設としての使用を終了する方針を示した[12][13]。
活用の方向性として、維新博の『志』を引き継ぐ視点から次世代を担う人材育成の施設、文化・芸術の拠点施設の2本が示されている[14]。県は利活用の設計に公募型プロポーザルを行い、2021年11月にはオープン・エー・石橋事務所JVを特定した[15]。2025年度までに耐震化とリニューアルを行い、「文化体験・創造の拠点」とする予定であった[16]。
しかし、2023年に約52億円の費用を見込んで行われた施工の入札が工事費高騰の影響を受けて不落となり、さらに30億円程度の上昇が予想されることから、事実上の凍結状態となった[7]。
建築上の特徴
外観
特徴的な外観は折板状の外壁と楕円形の吊屋根[注釈 1]で構成されており、吊屋根工法としては佐賀県内唯一の建物である[1][17]。
屋根はHPシェル構造(双曲放物面シェル構造)。平面上で楕円形に配置される折板状の外壁に加えて、右左翼に配置される支柱のような2本のバットレス(控え柱)、および地中でバットレスの間に渡された繋ぎ梁が、荷重を支えている[18][19]。
同時期に坂倉準三が設計し、2年早い1961年に竣工した旧西条市体育館(愛媛県西条市、2012年解体)と同じ構造で、形態もほぼ同じである。市村記念体育館のほうが規模がやや大きく、折板の上に飛び出す「ツノ」が西条市体育館にはない[19][20]。構造設計は、この2館や旧香川県立体育館などの吊り屋根建物を多く手掛けた岡本剛が行った[7]。
施工は大成建設が行い、吊り屋根部分の工事は三井建設が行った[21]。吊り屋根の施工方法は西条市体育館のときより進んだものとなった。支持のための張り綱はピアノ線からPCストランドとなった。その定着方法も、フレシネ工法から、一端を先にくさび工法で行い、もう一端をフィッチング工法で締結するものとなった。ストランドは1.2 m間隔で渡されており、これにプレキャストコンクリート(PC)板を乗せている[19][5]。使用されたPCの量は2,970 m3に及んだ[22]。
折板状の外壁はコンクリート打放し仕上げ。ひとつひとつの傾斜が少しずつ異なるため、打設には苦労を伴ったと、大成建設の広報誌『大成クォータリー』には記録されている[5]。
折板の上に飛び出す「ツノ」は構造上必要のないものだが、外観の特徴を際立たせている[20]。正面から見たときのほうが、王冠のような外観は際立って見える。側面から見たときには、馬の鞍のような形に見える[21]。
建物内の競技場や座席から見る天井は、HPシェルそのままの形をした曲面となっていて、特に2階席からは際立って見て取ることができた[20]。軒高は最高部が18.8 mに達する[5]。
2本のバットレスは屋根に溜まった雨水を導く雨樋の役割ももつ[7][21]。屋根はむくり(凸状の湾曲)をもち短軸の両端に向かって下がる形状で、降った雨はこの両端に向かって流れる。水はそこから雨樋である両側のバットレスを伝い流れ、一度円形の枡で受け止められたあと、地面に流れ出るしくみ。開放型の雨樋でありながら、旧都城市民会館のそれと同じように比較的激しく流れるタイプのものである[23][24]。
その他
壁や床の二丁掛の磁器タイル、滑らかに仕上げられた木製の手すり、各部の彩色などには、坂倉の色が出たデザインが多く残る[2][19][21]。楽屋の椅子は天童木工が製作した品である[2]。
構造上の制約から、全ての窓が平行四辺形となっている点も特筆される。折板の傾斜が少しずつ異なるためで、傾斜に沿うように取り付けられている。窓ガラスは特注で作られた[2][5]。
基本構造は鉄筋コンクリート(RC)造、建築面積2,082.82 m2、延床面積4,318.04 m2[2]。地上4階建て・一部中地階付きで、コートは1階部分から吹き抜け[2][19][5]。主要入口は1階と、2階にあって、外側階段から2階入り口を通じて直接客席に入ることができるようになっている[19]。
竣工時に予め冷暖房用の吹出口が作られており[19]、開館後国内の体育館としては当時珍しかった全館冷暖房が整備された[2][3][25]。また、これも国内の体育館としては当時珍しかった電光掲示板が開館後設置されている[2][25]。
舞台に用いられた緞帳の布地は特注のドイツ製で、淡い青色の彩色やスパンコールなどのデザインは夫人の市村幸恵によるもの。三愛会と理研光学、三愛石油、リコーカメラなど(いずれも当時の社名)が合同で落成記念に寄贈した[2]。
2023年6月には、DOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築に認定されている[21][注釈 2]。DOCOMOMO Japanは選定理由に、佐賀県が作品の価値を理解し保存活用を進めている点も挙げ、「(前略)竣工時の意匠の保護に最大限配慮したうえで改修されることとなった、稀有な事例である」と評している[21][7]。

