佐賀城公園

From Wikipedia, the free encyclopedia

分類 都市公園(総合公園)
所在地
佐賀県佐賀市城内一丁目、二丁目、水ヶ江一丁目、三丁目、鬼丸町、赤松町、与賀町[1]
座標 北緯33度14分40秒 東経130度18分05秒 / 北緯33.2444度 東経130.3015度 / 33.2444; 130.3015座標: 北緯33度14分40秒 東経130度18分05秒 / 北緯33.2444度 東経130.3015度 / 33.2444; 130.3015
面積 開設済:30.7 ha(2025年9月時点)[1]
佐賀城公園
北堀端と楠群に隠れる県立図書館
佐賀城公園の位置(佐賀市内)
佐賀城公園
佐賀城公園の位置(佐賀県内)
佐賀城公園
分類 都市公園(総合公園)
所在地
佐賀県佐賀市城内一丁目、二丁目、水ヶ江一丁目、三丁目、鬼丸町、赤松町、与賀町[1]
座標 北緯33度14分40秒 東経130度18分05秒 / 北緯33.2444度 東経130.3015度 / 33.2444; 130.3015座標: 北緯33度14分40秒 東経130度18分05秒 / 北緯33.2444度 東経130.3015度 / 33.2444; 130.3015
面積 開設済:30.7 ha(2025年9月時点)[1]
設計者 再整備:ニュージェック
運営者 佐賀県指定管理者
告示 昭和43年建設省告示第2767号
事務所 佐賀城公園管理事務所
事務所所在地 佐賀市城内一丁目10-11
備考 佐賀県史跡「佐賀城跡」全域を含む
公式サイト 指定管理者のサイト
テンプレートを表示
佐賀城公園を囲う(写真は西濠)。向こう岸に見える並木は佐賀県の天然記念物「佐賀城址の」に指定

佐賀城公園(さがじょうこうえん)は、佐賀県佐賀市城内にある佐賀城跡を中心とした県立の都市公園総合公園)である[2]佐賀県庁など行政の中心部近くにあり、三方を濠に囲まれた公園は市民の憩いの場となっている[3]1989年平成元年)7月28日には日本の都市公園100選に、2007年(平成19年)2月5日には日本の歴史公園100選の一つに選定された[3]

再生事業が行われている南濠の蓮(2016年撮影)
楠がそびえる北濠端・佐賀県庁西側
西の御門橋・島義勇像周辺

佐賀城公園は、佐賀市城内付近の佐賀城鯱の門佐賀城本丸歴史館周辺、県立博物館美術館周辺、県立図書館周辺、万部島、北・西・南の各濠とその周辺を公園区域とする[3]。大部分は佐賀市城内で、一部は水ヶ江鬼丸町、赤松町、与賀町の町域に掛かる[1]。計画面積は33.2ヘクタール(ha)、供用面積は30.7 ha(2025年9月時点)[1]

公園の運営は佐賀県が選定する指定管理者が行っている。ただし、公園の区域に含まれる一部施設は管理が別となっていて、歴史館、博物館・美術館とSAGA ART PATH・清恵庵・岡田三郎助アトリエ、図書館、市村記念体育館の各文教施設、またさがレトロ館は県の各部署が、鯱の門やお濠(水の管理)は佐賀市がそれぞれ担当している。なお、緑地が約19 haを占めるほか、濠が占める面積も約12 haと広い[4]

特徴

濠の周辺は桜の名所として知られ、花見の季節には多くの花見客でにぎわう。濠の周囲には樹齢300年を超える大楠が多くみられ、「佐賀城趾の楠群」として県の天然記念物に指定されている[5]

鯱の門および佐賀城本丸歴史館一帯、ならびに濠の水域(東濠を除く)は「佐賀城跡」として佐賀県の史跡に指定されている[6][7][8]

また、南濠はかつて一面にが広がり、美しい花が市民の目を楽しませていたが、ミシシッピアカミミガメが原因とみられる食害で全滅し、現在、再生に向けた取り組みが行われている[9]

濠をめぐる周回園路が整備され、市民の散策路、交流の場として親しまれている[3]

沿革

  • 1869年(明治2年) - 版籍奉還。本丸御殿は佐賀藩庁として使用されることとなる[10][11]
  • 1871年(明治4年) - 廃藩置県。本丸御殿は佐賀県庁となる[11]
  • 1874年(明治7年) - 城内に佐賀裁判所を設置[10]
  • 1883年(明治16年) - 佐賀変則中学校(後に佐賀県佐賀中学校)が松原の弘道館跡から城内の本丸跡に移転、佐賀県庁が本丸跡から弘道館跡に移って入れ替わる[11]
  • 1886年(明治19年) - 本丸の佐賀始審裁判所跡に佐賀県師範学校が移転[11]
  • 1887年(明治20年) - 城内北西部の現在地に新庁舎落成、佐賀県庁が移転。
  • 1895年(明治28年) - 弘道館跡地から城内西部に佐賀県佐賀中学校が移転。なお、同校は後に佐賀県立第一高等学校、佐賀県立佐賀高等学校となる[12]
  • 1907年(明治40年) - 本丸の東部に佐賀市立佐賀商業学校を設置[注 1]。また、佐賀県師範学校が本丸から三の丸・西の丸に移転。
  • 1909年(明治42年) - 赤松尋常小学校が本丸の西部に移転[11]
  • 1930年(昭和5年) - 佐賀市議会で佐賀地方都市計画区域を決定[11]
  • 1933年(昭和8年) - 鍋島家が城濠を佐賀市に寄贈、市は一部の埋め立てを開始[11]
  • 1935年(昭和10年) - 北濠の一部を埋め立て、北濠端を東西に貫く道幅15mの貫通道路(旧国道34号)が開通、現国道264号となる[11]
  • 1958年(昭和33年) - 赤松小学校内にあった旧佐賀城本丸御座間の建物が、水ヶ江の大木公園に移築、公民館「南水会館」となる[11][13]
  • 1960年(昭和35年) - 佐賀県立佐賀商業高等学校が神野東4丁目に移転[注 1]
  • 1961年(昭和36年) - 公園区域第1期工事に着手(第1期については1966年事業完了)[3][14]
  • 1963年(昭和38年) - 松原から城内に新築移転した佐賀県立図書館が開館[15]
  • 1963年(昭和38年) - 市村記念体育館が竣工[11]
  • 1963年(昭和38年) - 佐賀県立佐賀高等学校が佐賀西・佐賀北・佐賀東の3高校に分離。旧制佐賀中学校時代からの敷地は佐賀県立佐賀西高等学校となる[12]
  • 1968年(昭和43年) - 二の丸にNHK佐賀放送会館が竣工し移転する[11]。公園区域第2期工事事業に着手[3]
  • 1970年(昭和45年) - 三の丸に佐賀県立博物館が開館[11]
  • 1983年(昭和58年) - 三の丸に佐賀県立美術館が開館[11]
  • 1993年(平成5年度) -「歴史の森」地区の整備に取り掛かる[3]
  • 1993年(平成5年) - 佐賀市立赤松小学校が中の館町に移転[11]
  • 1998年(平成10年) - くすの栄橋(市道佐賀駅末次線)が開通、北濠を跨ぎ南北を結ぶ[11]
  • 2002年(平成14年) - 佐賀市が城内周辺を高度地区に指定。建築物の高さを15メートル (m)以下に規制する[16]
  • 2004年(平成16年) - 本丸に佐賀県立佐賀城本丸歴史館が開館[11]。南水会館は、2001年まで公民館として使用された後、再び本丸に移築改修されて「御座間」となる[17]
  • 2009年(平成21年) - 旧佐賀県警察部庁舎が城内東部に移築され、さがレトロ館として開館[18]
  • 2012年(平成24年) - 佐賀県庁南別館に県公文書館が開設される。2004年度に設置された歴史的文書閲覧室からの改組[19]
  • 2017年(平成29年) - 本丸鯱の門北側に鍋島直正銅像が完成[20]
  • 2018年(平成30年) - 西御門橋南側に島義勇銅像[21]が完成。
  • 2021年(令和3年) - 博物館・美術館前広場が東京オリンピックの聖火リレーにおける佐賀県ルートのゴール・セレブレーション会場となった[22]
  • 2022年(令和4年) - NHK佐賀放送会館が松原に移転[23]
  • 2028年(令和10年) - 全国都市緑化フェアの主会場の1つとなる予定[2]

クスノキ

福田ヨシの功績を記した「楠の木おばさん顕彰碑」(西濠端)

濠周辺に多くみられる楠は、平城である佐賀城で、敵から城内が見通されることのないよう植えられたものである。佐賀城は有事の際には主要部以外を水没させて敵軍の侵攻を防ぐ機構があることで、別名「沈み城」とも言われている[24]が、一説には他の城が城下から離れると天守が高々とそびえて見えるのに対して、佐賀城では逆に楠などに隠れて見えなくなるためだともいわれている[25]

終戦から間もない1950年(昭和25年)には、納税に困った旧藩主の鍋島家が楠20数本を売却しようとする事態となった。これを変えたのが、早津江村(現:佐賀市川副町)の教育者で、のちに佐賀県初の女性県議会議員となる福田ヨシである[26][27][28]。福田が保存運動をまとめ、「楠保存会」として鍋島直紹県知事に保存の重要性を訴えると[29]、1953年(昭和28年)の文化の日に佐賀県天然記念物の指定を受け、県庁前に由来の碑が建ち伐採を免れた[26]。楠は翌1954年に佐賀県「県花」に選ばれる。県木の指定は1966年(昭和41年)を待つこととなる[26]。1980年(昭和55年)には地元の自治会により、公園内(西堀のそば)に福田の功績をたたえる顕彰碑が建立されている[26][29]

また、1998年(平成10年)に北濠を渡る「くすの栄橋」が架橋された際には、建設地にあった推定樹齢350年の大楠を橋の南東に移植している[30]

佐賀城下再生百年構想

復元工事中の東濠(2017年)

佐賀城公園は1961年(昭和36年)の事業開始よりさまざまな計画が進んできた[14]。1991年(平成3年)には佐賀県・佐賀市が「佐賀城公園まち」の構想を立案、移転する赤松小学校や鯱の門周辺の歴史的価値を生かし、堀や土塁の復元、仮称・佐賀県立歴史資料館[10](現在の佐賀県立佐賀城本丸歴史館)の整備を提案して事業を行った[14]。佐賀城本丸歴史館の開館(2004年)[31]後も歴史的価値を生かすコンセプトを継承し[14]、佐賀市の観光拠点として周辺地域と一体感のある整備を進める「佐賀城下再生百年構想」が2007年3月に制定された[32]

同計画は東濠の整備事業を含み[14]、佐賀市が鍋島氏より受贈して埋め立てた1933年(昭和8年)工事の前の姿に戻すこととなった。工事は2011年5月9日よりNHK佐賀放送局東側で始まり[33]、事業が進められている。

公園区域から移転した施設は以下の通り。

二の丸エリアにある佐賀合同庁舎(佐賀地方法務局などが入居する)は、前記の百年構想において、NHKとともに将来利用が検討されていて[34]、白山から松原一帯の市街地活性化のため移転誘致を目指す動きもあったが[35]、公園計画区域にはまだ編入されていない[1]

本丸歴史館の整備が進む中、佐賀城天守台に建っていた協和館は、和風建築だが佐賀城とは関係がなく城域復元のイメージに合わないとして、2004年に解体された。協和館は佐賀県が1886年(明治19年)に松原に公会堂として建設した建物で、後に佐賀市の所有となり、佐賀郵便局(現・佐賀中央郵便局)の建設に伴い1957年(昭和32年)天守台に移転、後年は集会施設として使用されていた[36][37][注 2]

二の丸エリアにあったNHK佐賀放送局は、松原にあった佐賀商工会館の土地へ玉突き移転することとなった。同会館が佐賀商工ビルと名前を変えて白山に移転した後、2022年に移転を完了した[38][23]

また公園に近接する地域では2000年代に、城内エリアの景観に影響するマンション建設計画が問題となった。西城内で2001年に、佐賀市水道局跡地で2004年に問題となって、それぞれ翌年に用地を市や県が購入して中止させることで決着している[39]

2010年代からは、公園区域内で既存施設の再整備も行われている。城内エリアを文化・芸術の拠点にするコンセプトのもと、施設ごとに断続的に連携する形で行われている。これは漸進的に公共空間を変貌させながら課題解決と価値創出を行うもので、自治体としては比較的珍しく、設計者のOpenAは「エリアリノベーション」と称しているスタイルである[40]

施設・旧跡

博物館前の広場
こころざしのもりの噴水と図書館南面のデッキ

県を代表する都市公園であり、歴史建築物や文教施設が設置されている。

佐賀城本丸歴史館周辺

  • 佐賀城本丸歴史館 - 2004年(平成16年)開館[31]
    • 御座間(ござのま) - 佐賀藩主の居間にあたる建物で、座敷飾付き24帖間。火災を経て第10代・鍋島直正の代の1838年(天保9年)に再建された佐賀城の建物のうち、鯱の門と本丸は焼失を免れ残った。本丸の建物群の多くは時代とともに解体されてゆく中、使用され続けてきたのが御座間と堪忍所である。1909年(明治42年)から1957年(昭和32年)の間は赤松小学校で「御居間(おいのま)」と呼ばれ利用された。翌1958年には水ヶ江の大木公園に移築され公民館「南水会館」となり、2001年まで使用された。その後、佐賀城本丸歴史館の整備に合わせて再び本丸に移築され「御座間」および「堪忍所」となる。資料に基づき天保年間の姿に近いものに復原されている[13][17]。両建物は、2001年に佐賀市重要文化財に指定され[10]、2023年には「旧佐賀城本丸御殿 御座間及び堪忍所」として佐賀県重要文化財に指定された[13]
    • 堪忍所(かんにんどころ) - 警護詰所にあたる建物[13]
  • 佐賀城鯱の門[注 3]
  • 旧さがレトロ館 - 元佐賀県警察部庁舎の洋風建物。1887年(明治20年)完成、1936年移築。佐賀県蚕糸取締所、佐賀県視聴覚ライブラリーなどを経て、2009年に「さがレトロ館」としてリニューアルしカフェレストランが営業したものの、2022年までに閉業。その後は文化施設としての活用が模索されている[3][18][41]
  • 鍋島直正公銅像 - 鯱の門北側の広場に所在する、佐賀藩10代藩主鍋島直正の銅像。2017年3月設置[20]

県立博物館・美術館周辺

  • 佐賀県立博物館 - 明治百年記念事業として1970年(昭和45年)開館[11][42]DOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築選定[43]
  • 佐賀県立美術館 - 県政100年記念事業として1983年(昭和58年)開館[11][44]
  • 茶室『清恵庵』- 1973年(昭和48年)10月、市村清夫人より受贈[42]
  • 岡田三郎助アトリエ - 2018年(平成30年)開館。佐賀県出身の洋画家岡田三郎助が、1908年ごろに(現在の)東京都渋谷区恵比寿の自宅隣に建設したアトリエおよび、大正後期に増築した画塾「女子洋画研究所」の一連の建物。博物館の東側に復原移築されている。木造平屋・一部二階建て、金属板葺の洋風建築で、採光のための天窓をいくつも有する。一連の建物「岡田三郎助アトリエ」として2022年に国の登録有形文化財に登録されている。なお、文化イベント等への貸し出しも行われている[45][46][47]
  • SAGA ART PATH(サガアートパス) - 博物館・美術館南側の広場。佐賀市出身の彫刻家古賀忠雄の作品や、高輪築堤などを野外展示。イベント利用可能な芝生も有する。1994年に「古賀忠雄彫刻の森」として開設され、2023年に再整備された[48][49]
  • 博物館前の広場[40]
  • シャボン玉公園 - 遊具を備えた公園[6][8]

県立図書館・市村記念体育館周辺

  • 佐賀県立図書館 - 1963年開館[15]。DOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築選定[50]
  • 市村記念体育館 - 1963年(昭和38年)、リコー創業者市村清が佐賀県に寄贈[51]。リニューアル計画がある[52]。DOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築選定[53]
  • こころざしのもり - 県立図書館の南側にある広場。図書関係節から50年を機にリニューアルされ、その他芝生広場、噴水、築山、ベンチなどが整備されている。図書館南面に階段式のデッキがあり、図書館内の公園に面する一室が公園に繋がるフリースペースに改修されている。木陰となる樹木の周りにもデッキがあり、子供が遊び大人がくつろぐスペースとして、またイベント用の電源や水源も確保されていて、イベントスペースとしても利用されている。このリニューアルは土木学会デザイン賞奨励賞を受賞している[40][54][55]
  • くすの栄橋 - 1998年(平成10年)架橋。1999年都市景観大賞[56][57]

西御門周辺

  • 島義勇像 - 西御門橋南側に所在する、島義勇の銅像。2018年11月設置[21]

万部島

水ヶ江城時代に龍造寺家兼が始めて歴代佐賀藩主も継承した、国の安泰、領民の無事、五穀豊穣を祈願する法華経一万部読誦を行った場所。この場所は東堀に外側から突き出す陸地で、堀や川に挟まれた島のような土地だったのではないかと推測されているが、埋め立てられてその様子は分からない[58][59]
  • 万部塔 - 初代佐賀藩主・鍋島勝茂から第11代・鍋島直大までの歴代藩主が建立した読誦記念の石塔が並び建つ[58][59]。「万部塔と六地蔵」として佐賀市の史跡に指定されている[60]
  • 六地蔵 - 2基の六地蔵塔。それぞれ天文二年、天文二十二年の銘がある。龍造寺家兼ゆかりのものと伝わる。万部塔と六地蔵とともに佐賀市の史跡に指定[60]
  • 佐賀の役招魂碑 - 佐賀の乱(佐賀の役または佐賀戦争とも)の216名の戦没者名を刻印した石碑。江藤新平島義勇の名もある。毎年4月13日に慰霊祭が行われる。もとは1885年(明治18年)に西御門付近に建立されたが、1920年(大正9年)に移設されてきたもの[58][61]

イベント

  • 「佐賀さいこうフェス」 - 博物館前の広場のほか周辺地域で開催される佐賀県主催のイベント。文化・芸術を軸に、アーティストによるパフォーマンスや参加型ワークショップ、音楽ステージ、国際交流などの多彩な企画が2日間に同時に催される。2016年から毎年開催されている[62][63]

ギャラリー

交通アクセス

佐賀駅バスセンターより、市営バスで「佐賀城跡」、「博物館前」などで下車[64]

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI