長野県下伊那郡飯田町(現飯田市)生まれ[2]。明治20年代から家業の飯田水引(元結)の製造販売業を承継[2]。全国各地への出張販売に当たった後[2]、1913年(大正2年)飯田に元結の原紙会社を設立した[2]。1930年(昭和5年)家督を相続し世襲名の泰一を名乗った[1][2]。
下伊那郡会議員、飯田町会議員を経て、1937年(昭和12年)飯田市会議員となり、初代議長を務めた[2]。1939年(昭和14年)11月、飯田市長に推挙された[1][2]。在任中は日中戦争下で、飯田銀座商店街商業組合での栄養食の共同炊事の実現、食糧増産のための野菜の種子無償配布、飯田百七銀行・信産銀行・伊那銀行の統合による飯田銀行の設立などを実現させた[1][2]。1941年(昭和16年)3月に市長を退任した[1]。