布谷文夫
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1947年1月25日、北海道函館市出身。専修大学経営学部在学中の1966年に友人と東京R&B5を結成し、音楽活動を始める。東京R&B5は翌年の1967年に解散するが、その後、大瀧詠一らと共に『タブー』というバンドを結成。
1968年にザ・ジャガーズの弟分バンドだったビッキーズに参加、『東京R&B天国』(東京12チャンネル)の「R&B天国アマチュアバンドコーナー」に出演して5週連続勝ち抜きを果たす。この番組の賞品がサーフボードであったが、本人はサーフィンをやらなかった為、人に譲渡したという。ビッキーズはメンバー交代を経てブルース・クリエイションに。
1969年に竹田和夫、田代信一、野地義行らと『ブルース・クリエイション』同年7月に日本グラモフォン(ポリドール・レコード)よりアルバム『BLUES CREATION』を発表。9月には第1回の日本ロック・フェスティバルに出場した。
1970年にブルース・クリエイションを脱退、洪栄龍、内藤正美らと『DEW』結成。第3回全日本フォークジャンボリーに出場するなど精力的な音楽活動を展開するが、わずか2年でDEWを解散し、1972年にソロシンガーに転向した。
ソロ転向後、1972年8月にビクターレコード(ビクター・ポップ)より『からのベッドのブルース』を発表。1973年5月の第3回春一番ライブ(大阪天王寺公園野外音楽堂)に、ごまのはえ(伊藤銀次が所属していたバンド)と共に出演している。
1975年〜1976年にかけて一時活動を中止した時期があったが、1976年2月に大瀧詠一プロデュースによる『ナイアガラ音頭』(クレジットは“布谷文夫 with ナイアガラ社中”名義)を 日本コロムビアより発表。その後もマイペースでの音楽活動を続けていた。
その後自らのバンド 布谷文夫&ブルースブレーカーズとして活動 メンバーはギターに[1]斎藤浩一 ベース栃原優二 etc
2011年シーナ&ロケッツのツアーに参加
2012年1月15日、脳出血により茨城県牛久市内の病院にて永眠[2]。64歳没。
別名としてはアミーゴ布谷、蘭越ジミーがある。