帯屋町 (高知市)
From Wikipedia, the free encyclopedia
高知城下郭中にあり、古くは元和5年(1619年)5月21日の山内康豊の銀子借用書の宛所に「おひや町」と記されていることから、町の成立はそれ以前にさかのぼると考えられる。町名は、土佐藩二代藩主山内忠義の時代の大商人帯屋勘助に由来する。明暦3年(1657年)から寛文3年(1663年)頃までに武家街に変わったが、それ以前には10軒以上の大きな町家があった。元禄11年(1698年)には大火があり、その後に成立した横町は火中で口を開くハマグリになぞらえて「ハマグリ丁」と俗称された[3]。
明治に入り、1884年(明治17年)には町内に高知県庁がおかれた[3]。藩政時代より本町を中心に行われていた日曜市は、1904年から1948年に追手筋に移るまで、帯屋町で行われるようになる[4]。第二次世界大戦以前は、「一流街」とされた新京橋や京町に比べて帯屋町は「二流街」の印象がぬぐえなかった。高知大空襲で大きな被害を受けた後、都市計画で京町が“片側街”になり、新京橋が公園になると有力な商店が帯屋町に集まるようになる。1947年には、現在の帯屋町二丁目にあたる商店街北側に高知大丸が開店した。西側に県庁や高知市役所など官庁街を控える立地から、市内のみならず県内各地からの人々を吸引し、飲食店や映画館、パチンコ店などが集まるようになり、その賑わいは京町や中種崎町へと広がりを見せた[5]。高知大丸は1950年3月に火災で焼失[6]。11月に再建したが[7]、業容拡大のため1955年11月に京町1番地[注釈 1]に移転した[9]。高知大丸の旧店舗跡には、1958年に高知スーパーマーケットが開業した[10]。