帯岩
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由来
津波によって打ち上げられた巨礫を津波石という。その存在が世にが知られるようになった発端は、八重山列島の石垣島等に点在する巨石を調査した牧野清が、それらが津波によって海から陸上に打ち上げられたと推定し、1968年に著した「八重山の明和大津波」で「津波石」と呼んだことによる[3][4][5]。
帯石も津波石であり、2010年(平成22年)までに報告された中では世界で最も重いとされる[2]。近年の研究により、宮古列島には過去に幾度も津波が襲来していることが明らかになっている。最もよく知られている1771年4月24日(旧暦明和8年3月10日)の八重山地震の津波(明和の大津波)のほかに、1200年頃、1460-1470年頃、1625年の津波で移動したと考えられる津波石が多くあることが指摘されており[6][7]、明和の大津波以前の1748年(寛延元年)に完成した『宮古島紀事仕次』に、下地島を襲った津波にまつわる伝説(詳細は通り池#伝説)が収録されていることも、明和の大津波以前の津波の存在を示している。2017年(平成29年)には、先島諸島では明和の大津波と同規模の津波が約600年間隔で4回発生していたとの研究結果が公表されている[8][9]。帯岩が打ち上げられた時期については、明和の大津波によるとする通説[1]と、それ以前の津波によるとする説とがある。
琉球大学名誉教授の加藤祐三は、明和の大津波による宮古での被害の報告書である『思明氏家譜』の付属文書「御問合書」[10]で移動したと記されている巨石と、帯石の実寸とがほぼ一致することから、1989年(平成元年)に帯岩は明和の大津波で移動したと結論付けた[4]。加藤はまた、付着したサンゴの分析からも明和の大津波で打ち上げられた可能性が高いと述べている[11]。
一方、琉球大学教授の河名俊男らは、1987年(昭和62年)に、帯岩がある地域の津波石に付着した化石の年代測定から、明和の大津波以前の津波によって移動したとした[4]。また、東京大学教授の後藤和久は、2011年(平成23年)に、『大波之時各村之形行書』の記録に基づき石垣島の最大地点で85mとされてきた明和の大津波の遡上高[12]は実際には最大で34.8メートルであり、従来36-39メートルとされてきた下地島での遡上高[2]も古文書に基づく数値計算の結果12.3メートルであるとし、帯岩は明和の大津波では動いていないと述べている[6]。


