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帯広カントリークラブ

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所在地 日本の旗 日本
北海道河西郡芽室町中美生5線34番地
開業 1963年(昭和38年)9月1日
運営 メンバーシップコース
帯広カントリークラブ
新嵐山コース
Obihiro Country Club
帯広カントリークラブ
帯広カントリークラブの空中写真。
1975年9月25日撮影。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。
所在地 日本の旗 日本
北海道河西郡芽室町中美生5線34番地
座標: 北緯42度50分27.01秒 東経142度58分24.94秒 / 北緯42.8408361度 東経142.9735944度 / 42.8408361; 142.9735944
概要
開業 1963年(昭和38年)9月1日
運営 メンバーシップコース
設計 丸毛 信勝
運営者 株式会社 帯広ゴルフ場
コース

OUT IN
HOLEPARYARDHOLEPARYARD
1 4440 1 4450
2 5530 2 5530
3 4385 3 4440
4 3175 4 4290
5 4395 5 4400
6 3215 6 3188
7 5590 7 5567
8 4415 8 3150
9 4385 9 4365
計 363530 計 363380

その他
公式サイト 帯広カントリークラブ
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帯広カントリークラブ(おびひろカントリークラブ)は、北海道河西郡芽室町にあるゴルフ場である。

1958年(昭和33年)、山崎儀平(後・初代理事長)は、売買川近くの十勝米穀所有の草原を借り、ゴルフ仲間60人により打ちっ放しゴルフ練習場を造ったことに始まる[1]。だが、借りた土地の借地契約が3年間だったため、新たなゴルフ場の用地探しに苦労して、2年後、芽室町の協力とゴルフ場設計家・丸毛信勝の「これは立派なゴルフ場になるよ」との評価で、芽室町有雨山牧場用地の21万坪を用地に決定した[1]。

ゴルフ建設用地は、芽室市外から約12キロメートルの距離があり、美生、上美生の部落堺で、美生川の右に新嵐山、左に雨山が対峙する日高山脈の山麓で、谷間の湿地帯である[1]。用地決定までの間活躍したのが7人の侍である、山崎儀平、中村重実(後・初代社長)らの名は今も倶楽部史に残っている[1]。1962年(昭和37年)、新たなゴルフ場の建設に向けて経営母体「株式会社帯広ゴルフ場」を設立し、「帯広カントリークラブ・新嵐山コース」が誕生した[1]。

1963年(昭和38年)9月1日、コース設計を丸毛信勝に依頼し、コース造成工事が着工され、9ホール(現・インコース)が完成し、仮開場された[1]。帯広カントリークラブは、十勝管内では初のコースで、北海道では第11番目のゴルフ場となった[1]。この開場によって刺激され、周辺地域でもゴルフ人口が増加し、9ホールの増設が急務となった[1]。1966年(昭和41年)夏、増設9ホールが、丸毛信勝の設計により、造成工事が完了し、18ホール、距離6,835ヤード、パー72規模のゴルフ場が完成された[1]。

所在地

〒082-0076 北海道河西郡芽室町中美生5線34番地

コース情報

  • 開場日 - 1963年9月1日
  • 設計者 - 丸毛 信勝
  • 面積 - 720,000m2(約21.7万坪)
  • コースタイプ - 林間コース
  • コース - 18ホールズ、パー72、6,910ヤード、コースレート73.0
  • フェアウェー - コウライ
  • ラフ - ノシバ
  • グリーン - 1グリーン、ベント
  • ハザード - バンカー47、池が絡むホール2
  • ラウンドスタイル - 全組キャディ付、歩いてのラウンド、1組3人以上
  • 練習場 - 20打席230ヤード
  • 休場日 - 無休、11月下旬~翌年4月中旬冬期間クローズ[2][3]

クラブ情報

  • ハウス面積 - 1,616m2(485.8坪)
  • ハウス設計 - 株式会社 松村組
  • ハウス施工 - 株式会社 松村組[2][3]

ギャラリー

交通アクセス

エピソード

脚注

関連文献

関連項目

外部リンク

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