カストリ雑誌
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検閲
用紙
当時は物価統制令下であり、印刷用紙は当局に申請して配給を受けていたが、1947年(昭和22年)頃の紙不足は深刻で、配給の対象となっていた新聞ですらタブロイド判に縮小されたほか、文藝春秋などの雑誌の休刊も続出する状況にあった[2]。このためカストリ雑誌に代表される娯楽性の強い出版物は、用紙確保が極めて困難であり、統制外の仙花紙を用いることになった。仙花紙は古紙などを漉き直した再生紙の一種であって紙質は悪く、劣化しやすい。 裏の印刷が表にも透けてしまう有様であった[3]。 現存しているものは保存状態が劣悪であることが多いが、古書店で購入するなどして収集・研究の対象とする人もいる[1]。
ちなみに同音の「泉貨紙」とは別のもの。泉貨紙は高級和紙である。
対極的な存在に1946年(昭和21年)に日本語版が創刊された『リーダーズ・ダイジェスト』の存在がある。こちらはアメリカから輸入された紙を使用しており、高級さを感じさせるものがあった[4]。
主な雑誌と内容
カストリ雑誌のブームは1946(昭和21) - 1949年(昭和24年)頃と言われる。昭和初期に刊行されていたエロ・グロ雑誌『グロテスク』(1928 - 1931年、梅原北明)などのスタイルを継承している面がある。復員が進んだ1949年頃には凄惨な戦争体験の手記も掲載されるようになった。著名な文化人といえども生活苦だった当時は、カストリ雑誌に小説・挿絵を寄せていた。作家では永井荷風、江戸川乱歩、菊池寛、谷崎潤一郎、林芙美子、有馬頼義らがいる。画家の東郷青児は『女性』の表紙を描いた[1]。
- 『赤と黒』(1946年9月創刊)[5]。創刊号に女性のヌードを掲載して話題を呼んだ。後に『人間復興』[6]。
- 『猟奇』(1946年10月 - 1947年)は、第2号に「H大佐夫人」を掲載し、1947年(昭和22年)にわいせつ物頒布罪で戦後第一号といわれる摘発を受けた。
- 今日よく知られる『りべらる』(創刊号は1945年12月発売の1946年1月号。1953年3月まで刊行[7])は20万部を売り上げ、これに触発されて雑誌創刊が相次いだといわれる。数年続いたため、語源(3号でつぶれる)からすればカストリ雑誌とは言えないが、戦後まもなく創刊され、当時の世相をよく表しているため、カストリ雑誌と同様のものとして論じることが多い。後にSM雑誌に転向した『奇譚クラブ』(1947 - 1975年)、『夫婦生活』(1949 - 1955年)、吉行淳之介が編集者を務めていた『別冊モダン日本』(1950 - 1951年)なども同様である。
- さらに後の『あまとりあ』(1951 - 1955年)、『裏窓』(1956 - 1965年)なども、その内容から代表的なカストリ雑誌の系譜と言われている。
- 『千一夜』『ロマンス』『犯罪読物』『だんらん』など。