平和宮
国際司法裁判所や常設仲裁裁判所の所在地
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平和宮(へいわきゅう、蘭: Vredespaleis 発音: [ˈvreːdəspaˌlɛis]、英: Peace Palace)は、オランダ・ハーグにある建築物である[1]。国際法に関する組織である、国際司法裁判所、常設仲裁裁判所、ハーグ国際法アカデミーなどが入っている。
| 平和宮 | |
|---|---|
| オランダ語: Vredespaleis | |
|
平和宮 | |
![]() | |
| 概要 | |
| 用途 | 国際法廷 |
| 建築様式 | ネオルネッサンス建築 |
| 自治体 | ハーグ |
| 国 |
|
| 座標 | 北緯52.0866度 東経4.2955度 |
| 入居者 |
国際司法裁判所 常設仲裁裁判所 |
| 起工 | 1907年 |
| 開業 | 1913年8月28日 |
| 建設費 | 150万ドル(現代の物価換算で約4千万ドル) |
| 所有者 | 常設仲裁裁判所及び国際司法裁判所の本部所在地 |
| 加盟 | 国際連合 |
| 設計・建設 | |
| 建築家 | ルイ=マリ・コルドニエ |
| 受賞 | ヨーロッパ文化遺産ラベル |
1899年にハーグで行われた万国平和会議で締結された国際紛争平和的処理条約に基づいて設置された常設仲裁裁判所のために建設され、1913年8月28日に開館した[1]。1913年以来、常設仲裁裁判所の本部として、また1946年以来、国際司法裁判所の本部として機能しているほか、現在も両裁判所の主要な審理施設として使用されており、毎年数十件に及ぶ審理が行われています。
- PCA事件2012-04(クロアチア対スロベニア)における審理
- 常設仲裁裁判所小法廷における会合(PCA事件2013-14)
- ICJ(国際司法裁判所)における審理
- 平和宮内の常設仲裁裁判所行政評議会室における審理(PCA事件第2015-28号・イタリア対インド)
- 平和宮における国際司法裁判所の審理
- PCA事件2016-10号「東ティモール調停事件(東ティモール対オーストラリア)」における審理
国際裁判所


平和宮には、以下の組織が入居している。
- 常設仲裁裁判所(1899年 - 現在) - 常設仲裁裁判所(PCA)は、1913年の平和宮の開館当初から入居している。1901年に設立されてから当館が開館するまでは、ハーグのプリンセグラハト71番地の建物内に設置されていた。
- 常設国際司法裁判所(1922年 - 1946年)、国際司法裁判所(1946年 - 現在) - 1922年、国際連盟に設置された常設国際司法裁判所(PCIJ)の本部が平和宮内に置かれた。元々図書館があった場所に入居し、図書館は別館へ移転した。1946年、国際連盟に代わって国際連合が発足し、PCIJの後身の国際司法裁判所(ICJ)が設置された。
- 平和宮図書館(1913年 - 現在)- カーネギーの提案により開設された図書館であり、一時は「国際法に関する世界最高の蔵書」と評された。その評判は現在では過去のものとなったが、今でも、フーゴー・グローティウスの平和と法に関する著書や、デジデリウス・エラスムスの『平和の訴え』(Querela Pacis)などの、古典の原書を所蔵している。
- ハーグ国際法アカデミー(1923年 - 現在) - 1914年にトビアス・アッセルの提唱により設立された。開設資金は、カーネギーが1910年に設立したカーネギー国際平和基金が拠出した。
なお、国際刑事裁判所、旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷、イラン=アメリカ請求法廷は、ハーグに設置されているが、平和宮の中ではなく別の場所である。

構想




1900年、ロシアの外交官フリードリッヒ・マルテンスとアメリカの外交官アンドリュー・ディクソン・ホワイトが、当時既存の建物を間借りしていたPCAのために、新たに建物を建てることについて話し合った。その後、ホワイトは自国の実業家、アンドリュー・カーネギーと接触した。カーネギーは、国際法に関する図書館の設置を提唱し、そのための資金の拠出を申し出ていた。ホワイトはカーネギーに、PCAのための建物の建設費も拠出するよう説得した。1903年、カーネギーは建設に必要な資金150万ドル(現代の物価換算で約4千万ドル)を寄付することに同意した。
1907年の第二回平和会議において、フランス代表のデストゥルネル・ド・コンスタン男爵は、平和宮の建設のために、参加各国が資材等を提供することを提案した。
「この新たな建物は、地上のすべての国民の宮殿となるであろう。したがって、それがあらゆる国の資材によって建設されるのは、まことにふさわしいことではないだろうか。そのようにして、この建物は、その目的においてのみならず、その成り立ちにおいてもふさわしいものとなる。それは、すべての人々のために、すべての人々の手によって築かれるのである。[…]
ギリシャやイタリアは大理石を、アメリカやアジアは木材や貴金属を提供することができるであろう。さらに、ドイツ、イギリス、ロシア、フランス、日本、スペイン、そして世界のあらゆる国々は、自国芸術の傑作を寄贈することができる。各国が負担する費用はごくわずかなものに過ぎないが、これらの品々は、世界でも類を見ない独自のコレクションを形成し、われわれの国際仲裁裁判所にまことにふさわしいものとなるであろう。」
この提案は好意的に受け入れられ、1907年10月16日の本会議において、会議は、ハーグ条約の各署名国政府が建築家と協力しながら建設資材や装飾資材、さらには自国の優れた工芸・芸術を示す作品を提供することにより、常設仲裁裁判所のための平和宮建設に協力することを希望する旨を正式に表明した[2]。
その目的は、普遍的な善意と希望の象徴である裁判所本部を、世界各国から寄せられた寄与によって築き上げることにあった。
1903年9月、オランダ外務大臣は、裁判所建設の設計案を公募するため、諮問・準備委員会を設置しました。同委員会は建築設計競技のための要件書を作成するとともに、建物に求められる機能を検討するため、著名な裁判所建築の視察を行いました。 建築設計競技は1905年に実施され、216件の応募案の中から、フランス人建築家ルイ・M・コルドニエによるネオ・ルネサンス様式の設計案が採用されました。 建設費を予算内に収めるため、コルドニエはオランダ人協力者J.A.G.ファン・デル・ステウルとともに設計を修正しました。当初の計画では、宮殿の前面に大きな鐘楼が2基、背面に小さな塔が2基設けられる予定でしたが、最終的に完成した建物には、大きな鐘楼1基と小さな塔1基のみが残されました[3]。
1907年の第2回万国平和会議に出席した各国は、建設される平和宮のために様々な物を寄贈した。ロシアは3.2トンの巨大な壺、ベルギーは扉、イタリアは大理石、デンマークは噴水、日本は壁掛け用の絨毯、スイスは鐘楼用の時計、ペルシャはペルシャ絨毯、インドネシア、ブラジル、アメリカの各国は木材、ドイツは鍛鉄製の柵を寄贈した。
これらの寄贈品の一つが、PCA(常設仲裁裁判所)の理事会会議室の壁面を飾る精緻な絹製タペストリーです。「晩春初夏百花百鳥図」と題されたこのタペストリーは、日本から寄贈されたものであり、48,600人に及ぶ熟練した日本の職人たちによって、4年の歳月をかけて「綴織(つづれにしき)」の技法を用い、一つひとつ手織りで制作されました[4]。
- 常設仲裁裁判所 日本室
- PCA(常設仲裁裁判所)理事会会議室の日本寄贈壁掛けタペストリー
- PCA(常設仲裁裁判所)理事会会議室における審理
庭園
付属する庭園についても、1908年にデザインコンペティションが行われ、トーマス・モーソンが最優秀賞となった。しかし、経費削減のため、モーソンのデザインにあった山や彫刻などの要素は排除された。モーソンは、敷地内にある自然の水路を利用して作庭を行った。
芸術作品
宮殿内には、全世界、各時代における著名な平和運動家の像や肖像画が多数展示されている。
- 平和宮にある平和運動家の像
- ルイ・バルボーザ
- ベルナルド・ロデル
