平基親
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蔵人所雑色・六位蔵人を経て、保元3年(1158年)従五位下に叙爵。出雲守・伯耆守と地方官を歴任した後、中宮大進・五位蔵人・右少弁を兼ね、高倉天皇と中宮・平徳子に仕えるが、治承三年の政変(1179年)で解官となる。この頃、後に『平基親願経』と呼ばれる『法華経』8巻に開経『無量義経』と結経『観普賢経』)を合わせた紺紙金字10巻セットを書写供養しており、現在は東京国立博物館に無量義経[1]、個人蔵の巻第五、フリーア美術館に巻第七[2]、MOA美術館に巻第八、センチュリー文化財団に観普賢経[3]がそれぞれ所蔵されている。
寿永2年(1183年)、右少弁に還任すると、文治2年(1186年)に従四位下、文治5年(1189年)には正四位下・左大弁と弁官を務めながら順調に昇進し、建久元年(1190年)、従三位・兵部卿に至る。正治年間に『官職秘抄』を編集。
建永元年(1206年)に出家。浄土宗の法然に師事する一方、同族の平光盛らの師となる。『選択本願念仏集』の編纂などにも関わった。