平山城 (下総国)
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(千葉県) | |
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平山城 | |
| 城郭構造 | 連郭式平山城 |
| 天守構造 | なし |
| 主な城主 | 千葉輔胤 |
| 遺構 | 土塁、空堀 |
| 指定文化財 | なし |
| 位置 | 北緯35度34分17.5秒 東経140度11分31.6秒 / 北緯35.571528度 東経140.192111度座標: 北緯35度34分17.5秒 東経140度11分31.6秒 / 北緯35.571528度 東経140.192111度 |
| 地図 | |
平山は、千葉氏と深い関係のあった地である。平常将が永承年中に平山寺を創建したという記録があり、一説にはこれが東光院の前身ではないかと言われている。また、常将は、平忠常の乱で戦死した者たちの冥福を祈るため、平山に4つの寺を創建したという言い伝えもある[1]。東光院の裏山から平安時代の壺が発見されているなど、いずれにしても平山は古くから開けた土地であった。
平山城の造成時期は定かではないが、室町時代になると寺崎城主の千葉輔胤が馬加康胤父子を追討した後、一時期この城に居住した。
文明3年(1471年)に古河城を追われた足利成氏が「千葉」の千葉孝胤の下に逃れたとされている(『鎌倉大草紙』)が、この「千葉」を平山城のことを指すとする説がある[2][3]。
「千学集抜粋」によれば、「康胤御子胤持、輔胤、孝胤、勝胤まで以上5世は平山に在しければ、平山よりご参詣在りて、妙見宮にて御元服也。(中略)屋形様千葉より平山へ御越し、又長崎へ移らせらる。孝胤(中略)平山に居り佐倉へ御上り也」とある。
