平岡頼勝 From Wikipedia, the free encyclopedia 時代 戦国時代 - 江戸時代初期生誕 永禄3年(1560年)死没 慶長12年2月24日(1607年3月21日)別名 藤蔵(通称)、重定(初名?) 凡例平岡 頼勝 平岡石見(関ヶ原合戦図屏風)時代 戦国時代 - 江戸時代初期生誕 永禄3年(1560年)死没 慶長12年2月24日(1607年3月21日)別名 藤蔵(通称)、重定(初名?)戒名 高善院殿心月宗安大居士墓所 岐阜県可児市下恵土の禅台寺官位 石見守幕府 江戸幕府主君 豊臣秀吉→小早川秀秋→徳川家康→秀忠藩 備前岡山藩家老→美濃徳野藩主氏族 平岡氏(称・摂津源氏流溝杭氏支流)父母 父:平岡頼俊(対馬守)兄弟 頼勝、資重妻 正室:上月景貞の娘(黒田如水の姪)子 頼資テンプレートを表示 平岡 頼勝(ひらおか よりかつ)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将・大名。美濃徳野藩の初代藩主。 平岡氏は河内河内郡平岡庄、または同讃良郡枚岡庄を本貫地とする住人であり、摂津源氏流溝杭氏の祖の溝杭資兼(源資兼)の末裔と自称した。平岡資正(平岡資一の孫、資好の子)の玄孫、資重(頼勝の弟と同名)の曾孫、重頼(資頼)の孫、頼俊の子。若い頃は、父と共に諸国を流浪した浪人であったが、豊臣秀吉に才能を認められ、その家臣となった。 秀吉の正室の高台院(北政所)の甥・小早川秀秋が小早川氏の当主の小早川隆景の養子になった時に、稲葉正成(継室は春日局)と共に付家老となった。また、正室の従兄弟である黒田長政とは懇意の関係であり、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いにおいて長政と通じ、正成と共に主君・秀秋に東軍に寝返ることを進言した。その戦功を徳川家康に評価されて、秀秋とは別に備前児島郡2万石を与えられた。秀秋の乱心で多くの家老が出奔する中で、頼勝は最後まで秀秋に忠義を尽くした。秀秋の非業の死後に、小早川氏が改易されたために正成と共に再び浪人を経て、頼勝を才能を惜しんだ家康に仕え、美濃徳野藩1万石の所領を与えられ、石見守を受領された。 慶長7年(1607年)2月24日に死去した。享年48。嫡子の頼資が跡を継いだ。 関連作品 関ヶ原(1981年、TBSテレビ創立30周年記念番組、演:久米明) 徳川家康(1983年、NHK大河ドラマ、演:大宮悌二) 葵 徳川三代(2000年、NHK大河ドラマ、演:たかお鷹) 功名が辻(2006年、NHK大河ドラマ、演:山田明郷) 軍師官兵衛(2014年、NHK大河ドラマ、演:今井朋彦) 表話編歴平岡氏徳野藩初代藩主 (1604年 - 1607年) 平岡頼勝1604-1607 平岡頼資1607-1653 改易、廃藩 Related Articles