平業兼 From Wikipedia, the free encyclopedia 時代 平安時代末期 - 鎌倉時代初期生誕 不明死没 不明改名 業隆→業兼→尋蓮(法名) 凡例平業兼時代 平安時代末期 - 鎌倉時代初期生誕 不明死没 不明改名 業隆→業兼→尋蓮(法名)官位 従三位治部卿主君 後鳥羽天皇→土御門天皇氏族 桓武平氏維衡流(伊勢平氏)父母 父:平業房、母:高階栄子兄弟 業兼、教成子 業光テンプレートを表示 平 業兼(たいら の なりかね)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての公卿。桓武平氏維衡流(伊勢平氏)、左衛門佐・平業房の長男。官位は従三位・治部卿。 父・業房は後白河法皇の近臣で、治承3年(1179年)に発生した治承三年の政変で伊豆国に流されるが、逃亡を試みたため平氏政権によって処刑された。その後、母・高階栄子は後白河法皇に仕え晩年の寵妃となる(丹後局)。 大膳亮を経て、後白河院政期後期の文治元年(1185年)従五位下・美濃守に叙任されると、文治2年(1186年)従五位上・民部権大輔、文治5年(1189年)正五位下、建久3年(1192年)従四位下、建久6年(1195年)従四位上、建久9年(1198年)正四位下と、母・丹後局の権勢を背景に異例の昇進を重ねた。 院政を開始した後鳥羽上皇が政治的な主導権を強めていくにつれ、丹後局の威信は低下していくが、業兼は同年治部卿に任ぜられ、元久2年(1205年)従三位に叙せられ、公卿に列した。 承元3年(1209年)正月、子息の業光を侍従に任官させるために業兼は治部卿を辞し、同年5月13日に出家した。 官歴 『公卿補任』による。 寿永2年(1183年) 正月26日:大膳亮 文治元年(1185年) 正月20日:従五位下、美濃守。12月29日:業隆から業兼に改名 文治2年(1186年) 正月5日:従五位上。11月27日:民部権大輔 文治5年(1189年) 正月5日:正五位下 建久3年(1192年) 正月5日:従四位下 建久6年(1195年) 12月9日:従四位上(罷民部権大輔叙之) 建久9年(1198年) 正月5日:正四位下 建仁2年(1202年) 閏10月24日:治部卿 元久2年(1205年) 正月29日:従三位、治部卿如元 承元3年(1209年) 正月13日:辞治部卿(以男業光申任侍従)。5月13日:出家 系譜 父:平業房 母:高階栄子(丹後局) - 法印・澄雲または上座・章尋の娘 生母不詳の子女 男子:平業光 - 正四位下宮内卿 Related Articles