平永衡
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略歴
はじめ陸奥守藤原登任の郎従として陸奥国へ下向し、伊具郡を拝領する[1]。奥六郡を支配する俘囚(ふしゅう)長の安倍頼時(頼良)の娘(史料による呼称は「中加一乃末陪」、読み方は「なかかいちのまえ」と目されている。藤原経清室の「有加一乃末陪」は姉)を妻に迎える。1051年(永承6年)に始まる前九年の役においては、登任と頼時が戦った鬼切部の戦いでは安倍軍に参戦する。敗北して更迭された登任の後任に源頼義が任じられ、頼時が朝廷に帰服すると頼義に従う。1056年(天喜4年)には阿久利川事件をきっかけとして再び安倍氏が蜂起したが、この時衣川の南にいた永衡、経清は頼義に従って戦っている。だが2人とも頼時の婿であるからと疑われていた。さらにこの時永衡は、陣中できらびやかな銀の冑を着けているので、これは敵軍への通牒でないかと頼義に密告するものがあり、安倍氏への内通を疑われて殺される。これが引き金となって経清は安倍氏の陣営に属し、前九年の役が長引く原因となった。