平頼清 From Wikipedia, the free encyclopedia 平 頼清(たいら の よりきよ、生年不詳 - 文永3年(1266年))は、鎌倉時代の公家。桓武平氏、正三位・平保盛の子。官位は従三位・右馬頭。 右馬頭を経て、後嵯峨院政期前期の建長7年(1255年)従三位に叙せられ公卿に列した。公卿昇進後は散位となり、以降兼官を帯びることはなかった。文永3年(1266年)薨去。 子孫で公卿に昇る者はなく、頼盛流(池流)で最後の公卿となった。 官歴 『公卿補任』による。 時期不詳:右馬頭 建長7年(1255年) 正月7日:従三位、元右馬頭 文永3年(1266年) 日付不詳:薨去 系譜 注記のないものは『系図纂要』による。 父:平保盛 母:不詳 生母不詳の子女 男子:平保清 女子:藤原兼行室[1] 脚注 ↑ 『公卿補任』正和4年 藤原兼高の項 Related Articles