幸田シャーミン
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生い立ち
聖心インターナショナルスクールを経て、1979年聖心女子大学英文科卒業。大学在学中にはパリ大学ソルボンヌに留学、パリ滞在中にはジャン=ピエール・フルリモン(Jean-Pierre Fleurimon)メイクアップスクールにも学んだ。幸田は当時、弁護士かメイクアップアーティストになりたいと思っていたという。
ニュースキャスター
大学卒業の後、『海外ウィークリー』(NHK)や『FNNスーパータイム』(フジテレビ)に出演するようになった。後者へは1984年から3年半に渡って出演、逸見政孝とともにキャスターを務めた。同番組のオープニングでのタイトルコール、鼻にかかった「こんばんは、幸田シャーミンです」という喋りは特徴的であり、タレントの明石家さんまやビートたけし、清水ミチコから声優の生天目仁美までに物真似されたこともある。尚、同番組では逸見と余り仲が良くなかった事を彼の息子・太郎が明かしていたが、その一方で彼が死去した際には幸田も葬儀に参列していたと言う。
ジャーナリスト
1988年『FNNスーパータイム』を降板、翌年33歳でハーバード大学ケネディ・スクールに入学。1992年卒業し修士を取得[1] [2]。ジャーナリストとして、環境問題に関する取材や講演を行った。
2001年3月、国際連合大学高等研究所上級コミュニケーション担当官に就任した。同年7月、第19回参院選に比例代表から民主党公認で立候補、落選している。
国連広報センター所長
2006年4月より、コフィー・アナン国連事務総長(当時)から任命され、国際連合広報センター(東京)所長に就任。2008年6月2日任期満了で辞職したが、その後国連の人事管理室に在職中「本部の広報局の上司からパワーハラスメントを受けた」と、申し立てをしている。幸田によれば同センター内の不適切な経理があることについて調査しようとしたものの、本部の上司はその旨を上層部へ伝えることをしなかったという[3][4]。一方、幸田自身も、2007年に複数の部下からパワーハラスメントで告発されている[5]。
現在
テレビ出演
| 期間 | 番組名 | 役職 | 担当日 | |
|---|---|---|---|---|
| 1980年4月12日 | 1982年 | 海外ウィークリー(NHK) | キャスター | 土曜日 |
| 1984年10月1日 | 1987年3月31日 | FNNスーパータイム(フジテレビ) | 平日 | |
| 1987年4月1日 | 1988年3月31日 | 月~木曜日 | ||
| 1985年5月29日 | 一枚の写真(フジテレビ) | ゲスト出演 | 水曜日 | |
| 1986年3月11日 | タケちゃんの思わず笑ってしまいました(フジテレビ) | 企画出演 | 火曜日 | |
ラジオ出演
- 『FM25時 アスペクト・イン・クロスオーバー』(FM東京) - 番組アシスタント(1979年10月2日 - 1980年9月30日)
- 『京セラ ワールドHOTウェーブ』(FM東京)