広島平和音楽祭
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第1回目は1974年8月9日に広島県立総合体育館で行われ、美空ひばりが「一本の鉛筆」を披露した。
1977年の第4回広島平和音楽祭に際して、古賀政男が島倉千代子のために製作した「ひろしまの母」が、古賀の最後のレコードになった[1]。
1981年の第8回では地元・広島出身の西城秀樹が「リトルガール」を熱唱。またこの日の為に作られた楽曲「天と地の架け橋」も披露した。
会場の模様は、まず広島テレビで先行放送され、その後に日本テレビ系列局で再編集した映像が放送されていた。
歌詞を一般から募集し、優秀な作品には作曲の上で「ゴールデン・メイプル賞」が授与され、第6回の「相生橋で」(庄野真代)のように改めてレコード化された曲もあった。
会場はその後、広島サンプラザホールへと移ったが、編成の都合により、1993年開催の第20回大会をもって終了した。