広島県立美術館

広島県広島市中区にある美術館 From Wikipedia, the free encyclopedia

広島県立美術館(ひろしまけんりつびじゅつかん)は、広島県広島市中区にある美術館

専門分野 広島にゆかりのある画家
収蔵作品数 5000点余
事業主体 広島県
管理運営 [イズミテクノ・廣島緑地建設・広田造園共同事業体][1]
概要 広島県立美術館 HIROSHIMA PREFECTURAL ART MUSEUM, 施設情報 ...
広島県立美術館
HIROSHIMA PREFECTURAL ART MUSEUM
施設情報
専門分野 広島にゆかりのある画家
収蔵作品数 5000点余
事業主体 広島県
管理運営 [イズミテクノ・廣島緑地建設・広田造園共同事業体][1]
開館 1968年9月
所在地 730-0014
広島県広島市中区上幟町2-22
位置 北緯34度23分59.3秒 東経132度27分58.3秒
外部リンク 広島県立美術館
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ホール
館内のイタリアンレストラン
広島県立美術館の位置(日本内)
広島県立美術館
広島県立美術館

概要

1968年9月22日、中国地方初の公立美術館として開館[2]。現在の建物は旧美術館と隣にあった旧広島県立図書館の跡地に拡幅して1996年10月6日新築再開館したもの[2]

延床面積19,926m2、地上4階地下1階[3]。館内には図書室、ミュージアム・ショップ、レストラン、ティールーム、駐車場等を整備している。

縮景園に隣接し双方とも見られるよう工夫されており[2]、両方の入場券を買うと割引される制度もある。

収蔵作品

広島にゆかりのある画家の作品・アジアの工芸品・1920/30年代の世界の美術作品などをテーマに5000点余所蔵している[4]。これは、19世紀後半から20世紀初頭の西洋美術を収蔵するひろしま美術館と戦後の現代美術を扱う広島市現代美術館の収集方針との棲み分けを意識したものでもある[5]

など

沿革

観古館

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被爆後の空中写真
Hiroshima aerial A3377 アメリカ国立公文書記録管理局が所有する米軍撮影写真。写真上やや右側が縮景園で、その下側の敷地に3つ並ぶ建物跡が観古館。
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現在地は元々旧広島藩主である浅野家(浅野長勲)が所有していた別宅「泉邸」の敷地であった。

1913年(大正2年)10月、泉邸の一角に浅野家所蔵の古美術品を一般公開する国内初の私立美術館が開館する[8][9]。つまりこの地には大正時代から美術館が存在しており、名を「観古館(かんこかん)」といった[2]。日本初の私立美術館ともされる[10]

当時の建物構成は、入口から正面の位置に事務所棟を置き、それを軸として左右に2階建ての洋風建築の陳列棟を配置し、左が第一号館、右が第二号館と呼ばれた[11]。敷地面積1,424坪、陳列棟は間口10間・奥行5間で50坪を2棟[11]。展示物は浅野家所蔵の和漢古書や刀剣、茶器類で、西洋のものはなかった[8][11]。大正期には月平均3,500人来館した記録が残っている[12]

1939年(昭和14年)、この懐古館は浅野家から県に寄贈される[8]。同じく浅野家所有だった泉邸や浅野図書館は、それぞれ1940年(昭和15年)県に[9]・1931年(昭和6年)市[13] に寄贈され、縮景園・広島市立中央図書館として現存する。

ただ、太平洋戦争中は大日本帝国陸軍に接収され第2総軍短波傍受班「特情班」が置かれ[14]、1945年(昭和20年)8月広島市への原子爆弾投下により建物・展示品ともに壊滅したとされている[8] が、2017年、所蔵品のうち浅野家から饒津神社に寄贈され、被爆当時観古館に保管されていた能面・能装束など約120点が焼失を免れ現存していることが明らかになった[15]遺構としては、入口門柱が三次市立塩町中学校に移設され現存するぐらいである[16]

県立美術館

そもそもの発端は、1956年(昭和31年)広島市を中心とした広島県西部の小学校から始まった、美術館建設に向けた「1円募金運動」からである[2]。まず、この地には1960年(昭和35年)4月広島県立図書館が建てられた[17]

1960年代に入り美術館建設に向け具体的に計画が進み、1968年(昭和43年)9月、中国地方における最初の公立美術館として県立図書館の隣に開館した[2][18]。明治100年記念事業の一環でもあった[19]。この整備計画には児玉希望がアドバイザーとして参加している[20]

しかし、5000㎡未満だった床面積は狭く[21]、もっぱら県美展と中央の巡回展が開催できることを当面の目標として建設されたもので、理念が確立しないまま陳列会場的な運営が続き、専門的な知見を有する人材面の課題も抱えていた[22][23]

1980年代に入り、施設の改新構想が挙がり[2]、隣の県立図書館の移転が決定したことから[17]、美術館の建て替えおよび縮景園との景観的な一体化を図られるようになる。まず1980年(昭和55年)収蔵庫の拡張が行われ、1980年代後半には県立美術館整備構想案がまとめられる[18]

1991年11月にマツダSCのプロクラブ転向の準備室が同館2階ロビーに設置された[24]

常設の展示室をもつ新館の開館を控え、1991年からの5カ年で1500点の作品収集を行った[5]

1995年(平成7年)新館、つまり現在のものが竣工し、翌1996年(平成8年)10月に再開館した[18]。設計は日建設計、施工は大成建設[3]。規模はそれまでの約4倍となり[25]、1996年時点では全国で4番目、西日本では最大の規模だった[21]。しかしバブル崩壊の影響もあって当初計画からは規模を縮小したものとなり、作品購入基金もリニューアル後まもなくほぼ凍結状態となった[26]

目玉作品であるダリの作品を巡っては、開館準備ニュースやカタログにおいて図版使用をおこなったが、作品管理権をもつ財団と著作権をめぐって他のダリ展を開催した美術館や百貨店とともに裁判となった[27]

2008年には指定管理者制度を導入し、現在は5期目を迎えている。第3期以外は隣接する縮景園と同一の管理者が受託しており、1期と2期はイズミテクノ1社だったが、3期目は乃村工藝社との共同事業体、2017年度からの4期目以降は廣島緑地建設広田造園との共同事業体での受託となっている[28]。また、2009年から所管組織が変更となり、それまでの教育委員会から環境県民局に移行している[5]

2012年度は入館者低迷にともなう終始悪化にともない、「永田萌一夢みるチカラ展」において学芸員が展示監視も兼ねる異例の経費削減策を実施したが、美術関係者からは悪い前例になるとの危惧が相次いだ[29]

2022年には博物館法の改正にともない設置目的が変更となり、それまでの社会教育施設であるだけでなく文化観光の拠点施設としての位置付けも付加された[30][31]

利用情報

  • 開館時間 - 9:00~17:00(土曜日は19:00まで)
  • 休館日 - 月曜(祝日・振り替え休日は開館)、年末年始
  • 観覧料 - 一般:500円、大学生:300円、高校生以下:無料(20人以上の場合は団体割引がある)
  • 駐車場 - 地階に有る、有料
  • レストラン - 1階にレストラン、3階にティールームがある

交通アクセス

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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