弁天山古墳 (富津市)
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位置
北緯35度16分54.6秒 東経139度51分29.9秒 / 北緯35.281833度 東経139.858306度座標: 北緯35度16分54.6秒 東経139度51分29.9秒 / 北緯35.281833度 東経139.858306度
形状
前方後円墳
規模
全長86m、高さ8m
埋葬施設
竪穴式石室
| 弁天山古墳 | |
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| 位置 | 北緯35度16分54.6秒 東経139度51分29.9秒 / 北緯35.281833度 東経139.858306度座標: 北緯35度16分54.6秒 東経139度51分29.9秒 / 北緯35.281833度 東経139.858306度 |
| 形状 | 前方後円墳 |
| 規模 | 全長86m、高さ8m |
| 埋葬施設 | 竪穴式石室 |
| 築造時期 | 5世紀後半 |
| 史跡 | 昭和4年(1929年)国指定 |
| 特記事項 | 石室天井石に縄掛突起 |
- 全長86メートル[1]
- 後円部径53メートル、高さ8メートル
- 前方部幅50メートル、高さ5.5メートル
富津岬の南側の付け根に流下する小久保川・岩瀬川の下流地域に単独で存在する前方後円墳で、内裏塚古墳の南4キロメートルに位置する。周堀は残っていないが、昔の地籍図から盾型周濠の存在が想定されている。墳丘裾に円筒埴輪が巡ることが確認されているが、形象埴輪は未確認である。
明治元年(1868年)に小久保藩の藩校を建設するために墳麓を削って以来、墳丘は度々改変を受けていたが、昭和2年(1927年)4月に小学校を建設するため後円部の墳頂にあった厳島神社の一部を崩した際に石室の一部が見つかり、内務省に報告された[2]。これを契機に発掘調査が行われ、昭和4年(1929年)に国の史跡に指定された。墳丘は崩壊が著しい状況であったが、1975~79年に補足調査と墳丘の復元工事が行われた。