弘世助太郎
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弘世助三郎の嫡男として滋賀県彦根[1]に生まれる。京都第三高等中学校卒業後、父助三郎の事業の後継者としての素地を作るため三菱合資銀行部、日本倉庫を経て山口銀行に入り1908年(明治41年)弘世助三郎の取締役退任に伴い日本生命取締役に就任した。助太郎は山口銀行の支配人・監査役をつとめ、その後関西信託や三和銀行の取締役に就任し、山口財閥とは極めて密接な関係にあった。1928年(昭和3年)12月29日、日本生命社長に就任し、1936年(昭和11年)に亡くなるまで、その任に当たった。助太郎には3人の娘がいたが、嫡男がなく、その遺言により、当時常務取締役だった成瀬達(弘世現の長兄)が四代目社長に就任した。そして、この助太郎の三女・芳子の入婿となり弘世家を継いだのが、成瀬現こと弘世現だった。
