張允伸

From Wikipedia, the free encyclopedia

張 允伸(ちょう いんしん、785年 - 872年)は、唐代軍人は逢昌。本貫幽州薊県[1][2]

盧龍軍に仕えて押牙に累進し、馬歩軍都知兵馬使を兼ねた。大中4年(850年)、盧龍軍節度使周綝が病に臥せると、允伸は留後となり、右散騎常侍を加えられた。この年の冬、検校工部尚書に転じた。ほどなく盧龍軍節度使となった。咸通9年(868年)、光禄大夫の位を加えられ、検校司徒・兼太傅同中書門下平章事となり、燕国公に封じられた[1][2]

咸通10年(869年)、龐勛徐州で反乱を起こすと、允伸は米50万斛・塩2万斛を朝廷に献上した。この年の冬、特進を加えられ、侍中を兼ねた。咸通12年(871年)、病のため医薬を求め、子の張簡会を幽州盧龍軍節度副大使とした。咸通13年(872年)1月25日、死去した。享年は88。太尉の位を追贈された。は忠烈といった[3][2]

家族

  • 曾祖父:張秀(檀州刺史
  • 祖父:張巌(納降軍使)
  • 父:張朝掖(贈太尉)
  • 弟:張允皋(薊州刺史)[1][4]
  • 子:張簡会(検校工部尚書・幽州盧龍軍節度副大使)
  • 子:張簡真(幽州大都督府左司馬)
  • 子:張簡寿(右領軍衛大将軍)[5]

脚注

伝記資料

参考文献

Related Articles

Wikiwand AI