張文宝
五代十国時代の官僚
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経歴
はじめ河中節度使の朱友謙を頼ってその下で河中節度従事となった。同光元年(923年)、後唐の荘宗が魏州で即位すると、文宝は中書舎人・知制誥となった[1]。天成3年(928年)、刑部侍郎に転じた[2]。天成4年(929年)、右散騎常侍となった[3]。長興元年(930年)、知礼部貢挙をつとめた[4]。長興2年(931年)、兵部侍郎に転じた[5]。長興3年(932年)、吏部侍郎となった[6]。長興4年(933年)、呉越への使者として赴いたところ、海上で船が壊れ、漂流して呉の天長県に流された。呉の楊溥に礼遇され、食物の支援を受けた。杭州にたどり着いて使命を果たすことができ、帰国して青州に着いた[7]。9月25日、死去した[8]。