張琦 (画家) From Wikipedia, the free encyclopedia 費隠通容像自賛[1]絹本着色 萬福寺 張 琦(ちょう き、生没年不詳)は、明末清初の画家。字は玉可。嘉興府秀水県[2]の出身。 曽鯨に師法[3]し肖像画を得意とし、嘉興では他に並ぶ者がいないと称賛された。波臣派の重鎮であるが伝世作品は少ない。 費隠通容に帰依し玉可張居士を名乗った。「費隠通容像」は承応3年(1654年)に隠元隆琦によって日本にもたらされ、黄檗画像の原点となった。その後、同門の楊道真などがその画法を日本に広めた。 費隠通容の師の密雲円悟[4]や曹洞宗の僧の覚浪道盛[5]などの禅僧の頂相の他、文人の肖像を多く手がけた。 作品 「円信像」故宮博物院 「尚友園」[6]1652年、上海博物館 関連項目 長崎派 喜多道矩 喜多元規 喜多宗雲 脚注 ↑ 費隠50歳 (崇禎15年5月・1642年)の誕生日に祝賀として張琦によって画かれ、その法嗣となった隠元によって日本に将来された。 ↑ 『図絵宝鑑続纂』 ↑ 『国朝画微録』・『明画録』 ↑ 『費隠禅師語録』第13巻 ↑ 『天界覚浪盛禅師嘉禾語録』 ↑ 嘉興鍾秀里に隠遁中の項聖謨の依頼により合作する。項聖謨自身と董其昌・陳継儒・李日華・魯得之・釈智舷の五老との交遊を回顧して製作された。 出典 故宮博物院 西上実「黄檗の美術とその源流」(図録「黄檗の美術 江戸時代の文化を変えたもの」1993年、京都国立博物館)所載 Related Articles