肖像画家として福建・浙江・江蘇一帯で活躍した。
西洋画の陰影法などを取り込み、肖像画を画いた。「鏡に映したように人物の精神を写し取る」(原文:「如鏡取影、妙得神情」)と称される[1]。
一枚の肖像画を画くのに十数回も隈取り(烘染法)を重ね技巧の粋を尽くした[1]という。
王時敏25歳肖像 顧秉謙題 曽鯨画
その画風は一世を風靡し多くの門人が学んだ。この一派を波臣派と称した。明末清初の肖像画はこの波臣派と江南派の2派に分類[2]される。
晩年は南京郊外の牛首山にて過ごす。視力が低下し細かいものが見えなくなった。享年84。
弟子の張琦作「費隠通容像」は隠元隆琦によって日本にもたらされ、黄檗画の頂相の原点となった。