河東監軍使の張承業の甥にあたる。天祐年間、張瓘は張承業が河東節度使の李克用や晋王李存勗を補佐して功を挙げ、厚遇されていると聞いて、兄弟5人とともに太原府に入った。かれらはみな李存勗に任用された。天祐13年(916年)、張瓘は麟州刺史に任じられた。張承業は家内の者に厳しく、小さな科にも容赦しなかった。ある甥が磁州防禦副使となり、河西の羊を売る客を殺したことから、張承業はこの甥を捕えて斬った。このため張瓘は任所で誅求をおこなおうとしなかった。
後晋の天福年間、張瓘は密州刺史となった。任期満了で入朝して環衛官となった。後漢の乾祐3年(950年)夏、在官のまま死去した。