密州 From Wikipedia, the free encyclopedia 密州(みつしゅう)は、中国にかつて存在した州。南北朝時代から明初にかけて、現在の山東省濰坊市一帯に設置された。 魏晋南北朝時代 529年(永安2年)、北魏により東武県に置かれた膠州を前身とする[1]。 隋代 隋初には、膠州は2郡5県を管轄した。583年(開皇3年)、隋が郡制を廃すると、膠州の属郡は廃止された。585年(開皇5年)、膠州は密州と改称された。606年(大業2年)、莒州の廃止にともない、東莞県が密州に移管された。607年(大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、密州は高密郡と改称され、下部に7県を管轄した[2]。隋代の行政区分に関しては下表を参照。 さらに見る 隋代の行政区画変遷, 区分 ... 隋代の行政区画変遷 区分開皇元年区分大業3年 州膠州莒州郡高密郡 郡高密郡平昌郡東安郡県諸城県 郚城県 安丘県膠西県 高密県 東莞県琅邪県 県東武県 琅邪県昌安県黔陬県 高密県東莞県 閉じる 唐代 622年(武徳5年)、唐により高密郡は密州と改められた。742年(天宝元年)、密州は高密郡と改称された。758年(乾元元年)、高密郡は密州の称にもどされた。密州は河南道に属し、諸城・輔唐・高密・莒の4県を管轄した[3]。 宋代 北宋のとき、密州は京東東路に属し、諸城・安丘・高密・莒・膠西の5県を管轄した[4]。 金のとき、密州は山東東路に属し、諸城・安丘・高密・膠西の4県と普慶・信陽・草橋・李文・張倉・梁郷・陳村の7鎮を管轄した[5]。 元代以降の密州 元のとき、密州は益都路に属し、諸城・安丘の2県を管轄した[6]。 1369年(洪武2年)、明により密州は廃止され、諸城・安丘の2県は青州府に転属した[7]。 元代以降の膠州 1227年、モンゴル帝国により密州膠西県に膠州が置かれた。膠州は益都路に属し、膠西・高密・即墨の3県を管轄した[8]。 1369年(洪武2年)、明により膠西県は廃止され、膠州に編入された。膠州は萊州府に属し、高密・即墨の2県を管轄した[9]。 清のとき、膠州は萊州府に属し、属県を持たない散州となった[10]。 1912年、中華民国により膠州は廃止され、膠県と改められた。 脚注 [1]『魏書』地形志二中 [2]『隋書』地理志中 [3]『旧唐書』地理志一 [4]『宋史』地理志一 [5]『金史』地理志中 [6]『元史』地理志一 [7]『明史』地理志二 [8]『元史』地理志一 [9]『明史』地理志二 [10]『清史稿』地理志八 Related Articles