張直方
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経歴
張仲武の子として生まれた。右金吾衛将軍となった。大中3年(849年)、父が死去すると、直方は盧龍軍節度留後となり、まもなく盧龍軍節度副使に進んだ。盧龍軍節度使を嗣いだが、不法のことが多く、部下の離反を招いてその年のうちに長安に逃亡した[1][2]。周綝が節度留後となった[3]。大中4年(850年)、直方は左金吾衛将軍に任じられ[4]、検校工部尚書の俸給を受けた。長らくを経て検校尚書右僕射に進んだ[1][2]。
直方は小罪により金吾使を笞打って殺し、右羽林軍統軍に転じた。狩猟を好み、道にウサギを捕る網を設置した。大中11年(857年)、宿営の時間を守らず、右驍衛将軍・分司東都に左遷された。また奴婢を小さな過ちを理由に殺し、そうした罪が積み重なって、思州司戸参軍に左遷された。長らくを経て右羽林軍統軍に復帰した[1][2]。咸通13年(872年)、部下に盗みをさせて康州司馬に左遷された[5]。乾符年間、左驍衛大将軍に累進した。また検校尚書右僕射となり、左金吾衛大将軍に進んだ[1][2]。
広明元年12月(881年1月)、黄巣が長安に進軍すると、直方は灞上でこれを迎えた。中和元年(同年)、亡命者を集めて、黄巣を襲撃しようとしたが、計画が漏れ、一族とともに殺害された[1][2]。