彭徳仁
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経歴
1965年、ミャンマー民族民主同盟軍(MNDAA)創設者・最高司令官であった、彭家声の息子として誕生する。コーカン地域の地元警察部隊(local police force)で勤務した[2]。2009年にMNDAA司令官となったが、当時すでに彭家声はミャンマー軍と手を結んだ白所成により、コーカン自治区指導者としての地位を失っていた[3]。『ボイス・オブ・アメリカ』による2015年の電話インタビューにおいて、彼は自らの地位は時勢の強いるところであり、自らは後継者として育てられていたわけではなく、普通の民間人として生きることを望んでいたと述べた[4]。コーカンがミャンマー軍の勢力下に置かれて以降、MNDAAの主要な4グループはいずれも政府に帰順し、彭親子はゲリラ戦を強いられることとなった[2]。
コーカン奪還の取り組みのなか、徳仁は三兄弟同盟の他組織の支援を受けた。こうして、MNDAAはミャンマーで最も勢力のある少数民族武装組織のひとつとなった[5]。2021年ミャンマークーデターののち、徳仁は2021年2月6日に白所成の息子の暗殺未遂をおこすなど、コーカン奪還のための攻勢を強化した。2023年時点で、MNDAAは装備の整った戦闘員5,000人を擁していたと考えられている[6]。
MNDAAをふくむ三兄弟同盟は、2023年10月27日に「1027作戦」と銘する大規模な攻勢を実施した[7]。2024年12月1日には、MNDAAがコーカンの首都であるラウカイへの進軍をはじめ[8]、2024年1月5日までに陥落させた(ラウカイの戦い)[9]。