後藤安太郎
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人物
エピソード
安太郎は有価証券の所有者としては、名古屋中で一番だという評判があった[1]。株式に没頭し始めた動機については安太郎は次のように述べている[1]。
明治二十四年の濃尾の大地震はわれわれの郷里ではとてもこの間の関東地方の震災などとは比較にならぬ惨害であった。わづか五百戸たらずの寒村が倒壊を免れたものタッタ一戸といふみじめさ。しかも二十九年には引続いて大洪水これは前にもいった木曽、揖斐、長良の三川が毎年のやうに溢れるといふやつなんだが、この年は特別にはげしかった。そこで自分の土地をいよいよ見捨ててわづかな金をつかんで名古屋へ出たのだが、考へてみると地所建物では損をするし、米の相場は極限されてゐるし、今後永遠に生命のある金儲けは、株式に限る。株式ならば経済の理論に従って明らかに動く。従って米よりも確実性に富んでゐる。そこでその後は専ら株式相場にばかり熱中した。 — 『中京実業家出世物語』