後藤正晴

From Wikipedia, the free encyclopedia

後藤 正晴(ごとう まさはる、生年不詳 - 嘉永元年7月25日1848年8月23日〉)は、江戸時代後期の土佐藩士。土佐後藤家分家9代。家禄200石。通称は藤次、助右衛門。後藤象二郎の父[1]

土佐藩士・橋本寅直の三男として、高知城下に生れる。母は後藤吉正(収五郎)の妹[2]

文政12年(1829年)12月25日、母方の従兄弟にあたる後藤正澄(後藤吉正の嫡男)が病床にあり、正澄の嫡子・後藤正保(広馬)が早世していたため、正澄の養子となる事を仰せ付けられた[1]

文政13年(1830年)閏3月21日、養父・正澄の跡目本知高200石のうち150石を下し置かれ、格式御馬廻りに任じられる[1]

天保5年(1834年)11月6日、当分、御火消方御用をもって、翌年3月末まで、御家中町方の火用心廻り番を務め、天保7年(1836年)2月9日、御扈従に任じられる[1]

天保12年(1841年)5月4日、右勤番を差免し、御馬廻りに任じられる。天保15年(1844年)12月10日、柄弦御差物役に任じられ、役料100石を下し置かれた[1]

弘化4年(1847年)9月1日、江戸において上御屋敷御用、大向き御用に任じられる。ただしそれまでの柄弦御差物役は料知高ともに差し戻された[1]

嘉永元年(1848年)7月25日、江戸藩邸にて病死[1]。墓所は青山霊園(1イ13-23)。

家系

補註

参考文献

Related Articles

Wikiwand AI