徐禎卿 From Wikipedia, the free encyclopedia 徐禎卿像 徐 禎卿(じょ ていけい、1479年 - 1511年)は、中国明代の文学家。字は昌穀、または昌国。蘇州府常熟県梅李鎮の人で、後に蘇州府呉県に移った。『明史』列伝第一百七十四・文苑二に伝が立てられている。 若い頃は貧しく、独学した。唐寅と交友を持ち、唐寅が沈周や楊循吉に紹介したことから名を知られた。1505年に進士になり、大理左寺副となった。李夢陽(中国語版)や何景明(中国語版)と交友を持った。 唐寅・祝允明・文徴明と合わせて「江南四才子」(または呉中四才子)と呼ばれる[1]。また、劉麟・顧璘と合わせて「江東三才子」と呼ばれる[2]。文学流派としては李夢陽・何景明・康海(中国語版)・王九思(中国語版)・辺貢(中国語版)・王廷相(中国語版)と共に「前七子」と呼ばれた。徐禎卿は文章は秦漢、古詩は漢魏、近体宗法は盛唐に学ぶよう主張した。 1511年、数えわずか33歳で没。 著書 著書は『迪功集』[3]・『迪功外集』、文学の批評書『談芸録』など。他に『異林』[4]。 清の『四庫全書総目提要』によると、「明の朱元璋の伝記『翦勝野聞』は徐禎卿の著とも伝わっているが、『明史』徐禎卿伝にも文芸志にもその旨の記載が無い」と解説されている[5]。 脚注 ↑ 『明史』徐禎卿伝 ↑ 『明史』列伝八十二 ↑ 『明史』藝文四 ↑ 『明史』藝文三 ↑ 『四庫提要』子部五十三 小説家類存目一 翦勝野聞 一巻 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。表示編集 この項目は、中国の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:中国/P:歴史/P:歴史学/PJ中国史)。表示編集 典拠管理データベース 全般 FAST ISNI VIAF WorldCat 国立図書館 ドイツ アメリカ オランダ 人物 Trove(オーストラリア) 1 その他 IdRef Related Articles