出羽国秋田(現在の秋田県秋田市[4])で秋田藩士の次男として生まれた[1]。明治8年(1875年)に川村永之助を頭取とする六徳組(のちの川尻組)に入り、蚕種の検査監督として顕微鏡検査に人に当たった[4][1]。
明治20年(1887年)に上京して農商務省の蚕病試験場に入所した[1][2][4]。その後、西ヶ原蚕業講習所に入り、蚕種検査法、蚕質試験を担当した[4]。ここで一粒繰による研究に没頭し、研究を製糸業改良に移した[4]。
明治22年(1889年)に東京の本郷に養蚕工舎を設立した[1]。明治28年(1895年)に御法川工場を建設し、各種発明製造に従事した[3]。明治33年(1900年)に日本初の蚕糸専修学校を創立し校長を務めた。
昭和3年(1928年)に功労により、藍綬褒章が授与され、帝国発明協会より特別功労賞を授与されている[4]。