御馬皇子
日本の仁徳天皇の皇子
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経歴
推定456年(安康天皇3年8月)、安康天皇が眉輪王によって暗殺された後[2][3]の皇位空白の際に、市辺押磐皇子とともに、皇位継承の有力候補であった。『日本書紀』巻第十四によると、同年3年10月1日、市辺押磐皇子が大泊瀬皇子(おおはつせ の みこ、雄略天皇)に謀殺されたあと、以前から仲の良かった大和国の三輪君身狭(みわ の きみ むさ)のもとへ、気持ちを楽しませようと思って向かった(すなわち、かくまってもらおうとした)。だが、不意に途中で邀撃(ようげき)の伏兵に出くわし、三輪の磐井(大和国城上郡岩坂村、現奈良県天理市)のほとりで合戦になった。ほどなくして捉えられ、処刑された。死の直前に、
刑(つみ)せらるるに臨(のぞ)みて井(ゐ)を指(さ)して詛(とこ)ひて曰はく、 「此(こ)の水(みづ)は百姓(おほみたから)のみ唯(ただ)飲(の)むこと得(え)む。王者(ひとのきみたるひと)は、独(ひとり)飲むこと能(あた)はじ」
と言って、三輪の磐井の水だけはのめないようにと雄略天皇を呪詛したという[4]。