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徳之島空港

鹿児島県大島郡天城町にある空港 From Wikipedia, the free encyclopedia

徳之島空港(とくのしまくうこう、英: Tokunoshima Airport)は、鹿児島県大島郡天城町(徳之島)にある地方管理空港。愛称は徳之島子宝空港。

国・地域 日本の旗 日本
種類 商業
運営者 鹿児島県
概要 徳之島空港 Tokunoshima Airport, 概要 ...
徳之島空港
Tokunoshima Airport
ターミナルビル
管理区域側から撮影
管理区域側から撮影
IATA: TKN - ICAO: RJKN
概要
国・地域 日本の旗 日本
所在地 鹿児島県大島郡天城町
種類 商業
運営者 鹿児島県
運用時間 8:30 - 19:30
開港 1962年2月23日
敷地面積 52.6 ha
標高 2.3 m (7.5 ft)
座標 北緯27度50分11秒 東経128度52分53秒
地図
徳之島空港の位置
徳之島空港の位置
TKN/RJKN
徳之島空港の位置
徳之島空港の位置
TKN/RJKN
徳之島空港の位置
滑走路
方向 ILS 長さ×幅 (m) 表面
01/19 LLZ 2,000×45 舗装
統計(2019年度)
旅客数 202,021人
貨物取扱量 195.87 t
発着回数 2,705回
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徳之島空港空撮
徳之島空港の空中写真(2016年)
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)(現・地図・空中写真閲覧サービス)の空中写真を基に作成
徳之島空港付近の空中写真。(1977年撮影)
ジェット化以前の滑走路延長1200mの頃。写真上部に付け替え予定の新滑走路南端が写っている。
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)(現・地図・空中写真閲覧サービス)の空中写真を基に作成

概要

東亜航空の場外飛行場として,昭和37年に徳之島北部の西海岸リーフ上に埋め立てて建設された[3][1]。

徳之島 - 鹿児島便は日本航空がジェット機(MD-81)で1日2便就航していた(多客期は増発あり)が、閑散期には搭乗率が50%を切り、日本航空は2010年4月から日本エアコミューターのボンバルディア・DHC8-Q400に置き換え、便数を従来の1日2便から1日4便へ増便した[4]。これにより、徳之島空港を発着する便は全てプロペラ機で運航されることになった。

2017年10月29日より、約7年半ぶりに日本航空(ジェイエア運航)のジェット機(E170)による運航が再開した。

年間利用客数は、合計198,629人(2025年度)[2]。


歴史

施設

ターミナルビルは平屋造りのため旅客乗降は駐機場からの原則タラップやスロープを使った方法となる。
ターミナル内総合案内所、有料待合室、コインロッカー、飲食/物販店があり、展望デッキは2階空港ターミナル屋上となる[8]。

ターミナル施設内部

利用状況

乗客年120,000140,000160,000180,000200,000220,00020042007201020132016201920222025乗客年間乗客数


路線

期間限定路線

現状と今後

普天間基地の移設構想

2010年1月25日、沖縄県の普天間基地移設問題で政府与党民主党の牧野聖修衆議院議員(静岡一区)と関係者が来島した。島内3町長と会談し、普天間基地の県外移設先について「移設候補地としてジェット空港だから徳之島がベスト」と伝え官房長官との面談を要求した。また、徳之島に移設する場合に、徳之島空港の施設を活用する構想を表明した。しかし、米軍基地移設は奄美群島の世界遺産化などを検討している中で逆行するものであり、奄美群島ひいては県全体の問題として、3町長とも受け入れ反対で一致した。

26日には鹿児島県知事にも3町長の統一見解を表明、27日には牧野議員事務所側にも反対表明し、官房長官との面談も拒否する意向を伝えた[13]。2月4日には自由民主党の平沢勝栄衆議院議員と山本一太参議院議員が来島し、3町長・町議会議員・住民から意見を聴取したうえで、断固反対の意思を確認した[14]。

4月18日には、移設反対集会が開かれ約1万5千人(主催者発表)が参加する[15][16]。

反対運動が盛り上がる中、5月7日には、鳩山総理が東京で徳之島の3町長等と面談し、沖縄県民の負担を和らげ、普天間の危険性を除去するため、機能の一部、あるいは訓練のみの受入れを要請したが、 3町長は拒否し、今後の話し合いにも応じない考えを表明し、移設に反対する約2万6千人の署名を首相に手渡した[17]。

5月11日、政府は、徳之島移転が実現した場合には、米軍の使用と大型の輸送機の運用に耐えるように空港の拡張、滑走路の増強をする方針を明らかにするが[18]、12日には政府案に辺野古を移転先と明記することを決め、沖縄県外移転を諦める一方で、普天間の基地機能や訓練の一部について、徳之島などに分散移転する方針も示し[19]、15日には平野博文官房長官が徳之島の移設受け入れ柔軟派の経済団体関係者らと鹿児島市内で会談した[20]。

5月28日、日米安全保障協議委員会の共同声明において、普天間飛行場をキャンプ・シュワブ辺野古崎地区に移転する方針が確認され、加えて訓練を含めた米軍の活動の沖縄県外への移転先として、適切な施設が整備されることを条件として,徳之島の活用を検討することが発表されると[21]、沖縄県内移転に反発する社民党が政権離脱し[22]、6月2日には鳩山首相が退陣表明する[23]。

8月に、共同宣言に抗議し基地反対を訴える約3千人が一昼夜かけて島を1周する「命のタスキリレー」が実施される[24][25]。

2022年(令和4年)11月、2023年(令和5年)2月、2025年(令和7年)9月には、日米共同統合演習に組み込む形で実施された米軍再編にかかる訓練移転が、徳之島でも行われたが、米軍ヘリの離着陸訓練には空港外の町営グラウンドやヘリポートが使用されている[26][27]。

アクセス

運行本数・所要時間・料金等の詳細は、該当項目や公式サイトにて最新情報を確認されたい[28]。

その他

  • 徳之島VOR/DMEおよびLOC(グライドスロープなし)が整備されているものの、管理官所は、鹿児島空港事務所システム運用管理センターである[1][29][30]。

参考・浅間飛行場

当空港開港前、帝国陸軍によって建設された浅間飛行場(陸軍徳之島北飛行場)が現空港の東側、浅間地区に所在した。

1943年(昭和18年)に約2200名の島民が徴用され、建設工事が始まった。翌年1月からは、沖永良部、与論両島より300名余りの労務者が応援、5月にほぼ飛行場が完成し、6月には飛行中隊本部、事務室、整備室などが設置され、1500mの滑走路を主体として、補助滑走路も存在した。のちに駐留機を含め、米軍に数度破壊され、中継基地としての機能のみとなった。当飛行場からは、特攻機が1945年(昭和20年)3月から5月にかけて14回(43機)沖縄の海へと出撃している[31]。終戦で供用停止。以降、徳之島空港が完成する1962年(昭和37年)まで徳之島に空港は存在しなかった。

脚注

外部リンク

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