薩摩藩主・島津忠義の11女として生まれる[2]。母は側室の菱刈久で、昭和天皇の皇女・島津貴子と結婚した島津久永の祖母にあたる[3]。
1916年(大正5年)7月25日に紀州徳川家第16代当主・徳川頼貞の妻となり、1男1女(徳川頼韶・徳川宝子)を出産。長男の頼韶が紀州徳川家の跡を継ぎ17代当主となったが、41歳の若さでこの世を去ると、米国日系人の徳川剛(旧姓・青山)を養子に迎え、娘の宝子と結婚させて18代当主とした[4]。その後、剛が経営失敗により失踪したため、孫の徳川宜子が紀州徳川家の19代当主を務めている。
紀州徳川家は1898年には高額所得第9位という大資産家であり、1930年には夫とともに2年近く欧州旅行を楽しむなど贅沢に暮らしていたが、そうした散財などがたたって、終戦前に破綻した[5][6]。
1954年に夫が死去し、紀州家の土地を西武の堤一族に売ったことが縁で、1955年頃に西武百貨店池袋店内に、汁粉やケーキ、スパゲティを出す食堂「マルキーズ(侯爵夫人)」を開店した(のちバーベキュー店に変更)[7]。
1989年(平成元年)、死去。墓所は東京・寛永寺。