忌部色夫知
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経歴
『日本書紀』の壬申の乱のくだりに兄・子人の活動が記されるものの、色夫知の名は見えないが、死亡記事から色夫知も何かの活躍をしたことが知れる。
天武天皇9年(680年)忌部首(忌部子人)に連姓が与えられた。首は弟の色弗と共に喜び、天皇を拝した[1]。天武天皇13年(684年)八色の姓の制定に伴い、忌部連など連姓の50氏族が宿禰姓を与えられた[2]
持統天皇4年(690年)皇后として称制していた鸕野讚良皇女が即位した(持統天皇)際、物部麻呂(石上麻呂)が大盾をたて、中臣大島が天神寿詞を読み、その後に忌部色夫知が神璽の剣と鏡を上奏した[3]。
大宝元年(701年)6月2日卒去。最終位階は正五位上であった。詔があって、壬申の乱における功労により従四位上の贈位がなされた。