志島古墳群

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志島古墳群の位置(三重県内)
志島古墳群
志島古墳群
志島古墳群の位置
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150 m
10号墳跡
(上村古墳)
9号墳
(松本塚古墳)
志島古墳群の位置

志島古墳群(しじまこふんぐん)は、三重県志摩市阿児町志島にある古墳群。1基が三重県指定史跡に、3基が志摩市指定史跡に指定され、11号墳出土の埴製枕が三重県指定有形文化財に指定されている。

三重県東部、太平洋を見下ろす岬の丘陵台地上に築造された古墳群である。かつては13基以上が分布したが、現在は4基のみが遺存する[1]。4号墳・11号墳で発掘調査が実施されている。

4基のうち最古の11号墳(おじょか古墳)は、5世紀中葉-後半頃の築造とされる。全国的にも古い横穴式石室を持ち、北部九州の石室形態である点、全国的にも珍しい埴製枕を有する点で注目される。10号墳(上村古墳)は6世紀後半頃の築造とされ、石室内に長大な箱式石棺を持ち、珍しい金糸・銅椀が出土している。4号墳(塚穴古墳)は7世紀前半頃の築造とされ、高倉山古墳伊勢市)と同様の長大な玄室を有する。また古墳群全体として鏡の保有の多い点でも特色を示す[2]

志島古墳群では11号墳の出現から次の古墳築造までの間に空白期間があるが、その間には南方の大王町域で前方後円墳2基(泊古墳・鳶ヶ巣1号墳)などが築造されたと推定される[3]。これら志島古墳群・泊古墳・鳶ヶ巣1号墳は志摩地方を拠点とする広い海上交通ネットワークを有した有力豪族の墳墓群と想定され、文献上に見える島津国造との関連を指摘する説が挙げられている[4]。なお、当地北方では律令制下にも志摩国府・志摩国分寺が営まれたと推定されている[3]

現存する4基のうち11号墳は1969年昭和44年)に三重県指定史跡に、4・9・10号墳は1971年(昭和46年)に志摩市指定史跡に指定されている[5]。また、11号墳出土の埴製枕は1995年平成7年)に三重県指定有形文化財に指定されている[5]

遺跡歴

  • 1916年大正5年)、10号墳の墳丘・石室が大雨で半壊。副葬品出土[6]
  • 昭和30年代、11号墳の石室開口。副葬品出土[6]
  • 1967年(昭和42年)、11号墳の発掘調査(阿児町教育委員会、1968年に概要報告)[6]
  • 1969年(昭和44年)3月28日、11号墳が三重県指定史跡に指定[5]
  • 1971年(昭和46年)3月31日、4・9・10号墳が「志島古墳群」として阿児町指定史跡に指定(現在は志摩市指定史跡)[5]
  • 1995年平成7年)3月13日、11号墳出土の埴製枕が三重県指定有形文化財に指定[5]
  • 2010-2012年度(平成22-24年度)、11号墳出土の金属製品の保存処理(志摩市教育委員会、2016年に報告)[3]
  • 2012-2014年度(平成24-26年度)、4号墳の発掘調査(志摩市教育委員会、2018年に概要報告)[7]

一覧

志島古墳群の一覧[6][3][1]
古墳名 形状 規模 埋葬施設 出土品 築造時期 史跡指定 備考
3号墳五鈴鏡消滅
4号墳
(塚穴古墳)
円墳直径18m横穴式石室須恵器7世紀前半志摩市指定史跡2012-2014年度発掘調査
長大な玄室(高倉山型石室
9号墳
(松本塚古墳)
円墳直径14m不明志摩市指定史跡未調査
10号墳
(上村古墳)
不明不明横穴式石室
(内部に組合式箱式石棺)
珠文鏡・金糸・銅椀のほか、
装身具・馬具・鉄製武器・須恵器
6世紀後半
(7世紀まで追葬)
志摩市指定史跡1916年大雨で半壊
長大な箱式石棺
11号墳
(おじょか古墳)
不明不明横穴式石室埴製枕・方格T字鏡・珠文鏡のほか、
装身具・鉄製品・埴輪・須恵器など
5世紀中葉三重県指定史跡1967年発掘調査
全国的にも古い横穴式石室
北九州地方の石室形態
出土埴製枕は三重県指定有形文化財
12号墳仿製五獣鏡消滅

文化財

三重県指定文化財

  • 有形文化財
    • 埴製枕(考古資料) - おじょか古墳出土。志摩市歴史民俗資料館保管。1995年(平成7年)3月13日指定[8][5]
  • 史跡
    • おじょか古墳 - 1969年(昭和44年)3月28日指定[9][5]

志摩市指定文化財

  • 史跡
    • 志島古墳群 - 1971年(昭和46年)3月31日指定[5]

関連施設

脚注

参考文献

関連文献

関連項目

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