道光14年(1834年)3月、宜貴人として入宮。
道光16年(1836年)10月10日、蔡佳氏が「宜常在」として皇后や貴妃らとともに儀式に参加していることから、これ以前に宜貴人から宜常在に降格していたことが確認される。
道光18年(1838年)8月13日、さらに蔡答応に降格。
道光30年(1850年)1月、道光帝の崩御により帝位を継いだ咸豊帝により蔡常在に昇格。(『愛新覚羅宗譜・星源集慶』にも「初めは答應、道光30年1月に常在へ昇格」と記録あり。)
咸豊10年(1860年)12月29日、年節の際に琳貴太妃、成嬪、彤嬪、祥嬪、蔡常在の5人が咸豊帝から恩賜を受ける。
また、この時、英仏連合軍が北京に侵攻し、咸豊帝は熱河へ避難。
避難時に連れて行った先帝(道光帝)の妃嬪は上記の5名のみで、他の妃嬪たちは北京に残された。
咸豊11年(1861年)10月、咸豊帝の崩御により帝位を継いだ同治帝により、蔡貴人に昇格。
同治13年(1874年)11月、同治帝の崩御により帝位を継いだ光緒帝により蔡恒嬪に昇格。
光緒2年(1876年)閏5月6日、薨去。仮埋葬は田村。
光緒3年(1877年)3月、内務府大臣が清東陵内の妃嬪の墓所図を作成し、皇帝に提出。
皇帝の裁定により、彤貴妃は李貴人の右側、恒嬪(蔡恒嬪)は睦答応の右側として埋葬位置が決定。
同年9月3日、清東陵西配殿に遷移。
9月8日、正式に清東陵に埋葬された。